やまんばはあんまり食べ物にはこだわらない。
心がぎくしゃくするから。
心がぎくしゃくするから。
あれは食べてはいけない、これも危険だからいけない、なんて言うと、おいしく食べられなくなるから。
ほんとは昔、マクロビもかじったし、ベジタリアンの世界も覗いてみた。漢方薬にもはまってた。そして小食の世界には、ずいぶん前に長いことはまってた。
そういう食事療法をやっていると、「いけない食べ物」というのが必ず出てくる。
「危険な食べ物」や「危険な添加物」。
「危険な食べ物」や「危険な添加物」。
甘いものが食べたい。。とおもうと、即座に「砂糖は危険」という言葉が浮かぶ。するとそれに触発されるかのように、肥満、ひえ、糖尿病、通風、成人病、癌。。。。と、次々と連想ゲームが始まる。
ひえ~、やばいやばい。
お砂糖はやめとこう。でも甘いもんが食べたい。。。
お砂糖はやめとこう。でも甘いもんが食べたい。。。
さつまいもにしよう。そうだ、干し柿にしよう、レーズンでもいいな。。。と自分に言い聞かせる。
でも、ダメだといわれればいわれるほど(自分で言ってるだけなんだが)、ますますショートケーキや大福が食いたくなってくる。
カップヌードルがどんだけ危険か、耳にイカができるほど聞いた(タコだろ)。
酒はどんだけ人格を破壊するか。。。
いやいや、ほどほどがいいのだよ、というが。。。。
カップヌードルがどんだけ危険か、耳にイカができるほど聞いた(タコだろ)。
酒はどんだけ人格を破壊するか。。。
いやいや、ほどほどがいいのだよ、というが。。。。
ほどほどって、どこらへんを言うのだあーっ!
そーやってあれが食いたい、それはダメだ。いや、ちいとならいいだろう、なんて言い聞かせていると、心の中のもう一人が、
「そーやって、ちいとが、ちょっとづつ大きくなって、巨大になるんだろ?」と脅してくる。
巨大な葛藤の山に押しつぶされそーになっていた青春期であった。
その一方で、小さいとき、
「この世は、私が見たまんま本当に存在しているのだろうか?」
と、素朴な疑問を持ったまま、ばばあになったやまんばは、いまだにそれを否定しきれずにいた。
そして量子力学なるもんを知る。
「物質のほとんどは空間である」
「観察されるものは観察するものに影響を受ける」
こっこれは、どーゆーふうに受け止めたらいーのだ!?
やまんばが今食ってるサツマイモは、本当は存在していないのか!?
そもそもやまんばは本当は物質として存在していないのか!?
じゃあ、じゃあ、食品添加物も存在していないのか!?
じゃあ、、、、病気はドオーなるのだ?
。。。。。
なんかしらんが、心が多大に全てのものに影響を与えているような気がする。そもそも砂糖は危険というのも、自分が発見したんじゃなくて誰かの研究結果だ。これ、ほんとだろうか。色々探ると、これ、ホントだろうか?って次々でてくる。
有機肥料は、からだにどれだけいいか言われてきたけど、最近じゃ、有機肥料は地球のバランスをも崩してしまう、恐ろしい毒だともいわれる。
ホントだろうか?
あれ、ホントだろうか?
これ、ホントだろうか?
それ、ホントだろうか?
世の中にはホントってあるんだろうか。
やまんばはいっぺん全部疑ってみることにした。
およそからだにいいとされているものも、からだに悪いとされてるものも、気にしないことにした。
およそからだにいいとされているものも、からだに悪いとされてるものも、気にしないことにした。
何でもオッケー。好きなもんを食べる。好きなように食べる。楽しく食べる。うひょうひょと食べる。
今んところ、漢方薬をやっていた頃や、マクロビや小食をやっていた頃とはまるで違って元気だ。
あれから20年ぐらい年とったのに。
いやいや、玄米食ってるではないか。でも玄米生活すると、絶対食ってはいけないはずの肉も食うぞ。
あれから20年ぐらい年とったのに。
いやいや、玄米食ってるではないか。でも玄米生活すると、絶対食ってはいけないはずの肉も食うぞ。
結局、気にしないってことか?
何でもありがたくちょうだいするってことか?
わからん。
よいこのみなさまは、けしてやまんばのマネはしないように。
絵:「電車通勤の作法」MF新書表紙イラスト
どうやったら、電車通勤をより快適に過ごせるかという画期的な本!
あわてずさわがず、日本人の鏡のような作法であります。やまんばとエライ違い!