今畑はおさるさんのえさ場になっている。
大根、ニンジン、ブロッコリー、ホウレンソウ、去年から突っ込んであったじゃがいもも種芋さえほじって食う。相当お山にエサがないようだ。気の毒でもある。
やまんばは、かろうじて襲撃されていない白菜を収穫して生き延びる。
だがここに来てヒヨドリの襲撃もはじまった。葉っぱものを食う奴らは、そろそろノラボウやブロッコリーの葉っぱをかじりはじめた。白菜に気がつくもの時間の問題だろう。
山のふもとで畑をやるってこういうことか。でもまわりの他の畑の大根は、まったく食われていない。
「そりゃあおまん、おらんくの大根が、こじゃんとうまいがにきまっちょらあよ」
と、負け惜しみを言うことにしよう。
食われたときはショックだが、だんだんそれにもなれてくる。まあ、えいか。とどっかでカンネンする。それでも心は行ったり来たりする。
最初はやっぱりショックだ。がびーん!ってかんじ。だけど毎日見ていると、お猿の気持ちにもなってくる。大根やニンジン食ってあると、
「あいつら、根のものを食べて、からだあったまったんかな」
と、おもったりもする。
だが次の瞬間、別の種類の野菜がなくなっているのに気がつくと、
「こんにゃろーっ!」っておもう。
だけどしばらくするとそれにもなれてくる。
そんな心の繰り返しのようだ。それって自分の心の動きを観察することができる。自分がどんな信念をもっているかみられる。
人間が作った野菜は人間が食うもんだ、という信念。
一生懸命作った野菜を野生動物に横取りされるのは許せない、という信念。
それらの信念のおかげでサルに食われると「これってまちがっている!」って、心が大騒ぎするのだ。
もしこの二つの信念が最初っからなかったら、きっとやまんばの反応はちがったものだったんだろうな。
ひょっとしたら、
「あれ?おさるさんが食べたんだ。ああ、お山に食べもんがないのね。」
で、おわり。
それ以後、とられないようにするにはどうすればいいのか、これからの春野菜はどうしようか、と色々悩まないはずだ。
色々考えるのは、過去を振り返って、未来を案ずるからだ。
もしそこにその信念がなかったら、自分ってどう反応するんだろうなっておもうのも、自分を知るおもしろさになるんじゃなかろうか。
3 件のコメント:
すんません・・・貢献できてないので、
何も言えません・・・・・・・・
貢献を期待してるわけじゃないからあ〜。
心配しないでえ〜。
助けて欲しいときは、ちゃんと言うから。
塀!!
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