2023年10月25日水曜日

結果、すべてに線引きされる(笑)

 


「奇跡のコース」あるあるなんだと思うんだけど、


テキストでもワークブックでも、最初読んだらさっぱりわからない。

日本語で書かれているのに、なぜか理解できない(笑)

まあそれでも頑張って一通り読み終わったとしよう。


2回目読んだら、「あ!ここ重要だ!」とわかって、線引きしたりする。

3回目読んだら、線引きされてなかったところが「あ!ここ重要だ!」と線引きする。

4回目読んだら、さらに線引きされてなかったところが「あ!ここ重要だ!」と線引きする(笑)


つまり読んでいくほどに、その言葉の重要さがどんどんますますわかり始め、

結果全てに線引きされることになる(笑)。




一箇所をずーっと繰り返し読みつづける。


「え?現在の連続性?

『過去、現在、未来と分割することによって、

あなたは時間の連続性を破壊しようとする』

は?さっぱり意味わからん!!!」


「ん?なになに?

『現在の連続性は実在するので、

すべての癒しは現在の中にある』

なんじゃそりゃー!」



昨日しんどかったんだけど、

今というこの瞬間に心を置くと、

その瞬間しんどさが消えたことを思い出す。


一瞬でも過去や未来に心が向くとしんどくなるのだ。

未来にこのしんどさが続いたらどうしよう?とでも思っているのか?

こうなってくるとしんどいってことさえも信じられなくなってくる。


コースは全部自分の体験によって理解を促してくる。

知識で入れたって意味がない。

体験を通して「知って」いくのだ。



『あなたの記憶力は

過去を保存するためではなく、

いま天国を思い出すための力』



すげー。

記憶力って、今まで全然違う使い方をしてたわー。






絵:「少女、女、ほか」表紙イラスト



2023年10月21日土曜日

聖霊がこっちを向いた


 

二泊三日の高知の旅に出た。


目的は、施設にいる母に会いに行くこと。

でもまだ直接は会えない。

外と内の窓越しに、電話で話すだけだ。


去年は9月、めちゃくちゃ暑い中で母とあったので、涼しい時に行くと決めて10月後半にした。おかげでとても快適な外での面会だった。金木犀がいたるところで香って心を和ませてくれた。


母も元気そうだった。でも長々と話する感じではなく、せいぜい長くて15分ぐらい喋って帰ってくる。3日間毎日ほんのちょっとだけ会う。行くたびお土産のお菓子をいっぱい持っていく。そんな母とのやりとり。

相変わらず施設のイベントには一切参加せず、食事とお風呂ぐらいにしか部屋の外に出ない。テレビとクラッシックとお花。それが彼女の一日。

そんな母を、私は彼女らしいと笑った。




高知に来て、私はあることをし始めた。

し始めたというと、まるで自分がやり始めたかのように聞こえるが、そうではなく、

自然にそうなり始めた。

それは聖霊の視点で自分を見るようになったのだ。


ふとしたことで心が苦しくなると、

聖霊がこの今の私を見るとどう見るのだろう?と、

聖霊の視線が自分に向いた。

それが勝手に起こった。


それまでは兄弟を聖霊とともに見るということを意識的にやっていた。

兄弟の罪を見ない、愛の視点で見るというものだ。

高知に帰ってきて、それまで外に向けていた視線がくるっとこっちに向いた。


それはとても優しい視線だった。

どんなことも「大丈夫。あなたに罪はないよ」

と語りかけてくれているような、大きな優しさで私を包んでくれる。

その途端、私は安堵の中にいた。


施設にいる母を思うと、苦しくなる。

しかしそれを聖霊の視点で見る。

すると自分の罪は消えていく。

そんなものは最初っからないよ。

そんなものつかむ必要もないよと教えてくれる。


何をしても、何を考えても、聖霊はこちらを向いて微笑んでくれた。

心が癒されていく。

世界はどんどん優しくなっていく。

兄弟はますます優しくなっていく。




事実は実にシンプルだった。

どこに視点を置くか。

地獄と天国はこんなにもシンプルに分かれていたのだ。


そして私の心が今までどっちに向いていたかをはっきりと自覚させてくれた。


ずっと自分を責めていたのは自我の視点だった。

理屈ではわかっていたのに、それを止めることができなかった。

罪はないと言われても、そんな風に思えなかった。

それを信じることができなかった。


それが「自分を責める必要がない」と、

体験を通して教えてもらい始める。


苦しみの視点で世界を見ると、この世界は実に説得力のある重たく硬い世界。

しかし光の視点で見ると、この世界は薄く軽くなっていく。




絵:「里の秋」





2023年10月5日木曜日

考えの断捨離


 

こう振る舞う方がオトナだ。

こんな姿を見せるのはみっともない。


私の中にある自分を否定する思い。

それにことごとくそれに気がつき、それを持たない。捨てる。


今私がやっていることは、心の信念の断捨離。




信念と言えるとも思わないほどの、当然そう考えるに決まってると思っている考えだ。

これが私をことごとく苦しめていた。


朝起きた瞬間に、これから先どうなる?という不安に襲われる。

その思いを受け取り、そして採用しない。




私たちは常にあるムードの中にいる。不安、恐れ、緊張、、、、。

その嫌な気分を紛らわせるために、何かやろうとする。やっている自分に満足する。何かやっていればどこかにつながるはず。。。。という保証を欲している。


だがそれは一時的な心の保証であって、やって得られる保証は、やり終わると消えてしまう。

そしてまた次の不安が出た時に、それを解消するために何かをやる。。。それを繰り返している。




最近、そういう不安を一切持たない人類に出会い始める。


「その不安、捨てればいいじゃないですか。」

「不安がっている?

それ趣味ですから、不安がらせておけばいいじゃないですか。

そのうち飽きます。その思いも生き物ですから。」


そんな人々に会うと、不安がっている自分が、だんだんバカバカしくなってくる(笑)。

そしてその思いを持つ意味は本当にあるのか?と自分に聞く。


いや。ねえし。

なんかメリットある?メリットよりもデメリットの方がはるかに多い。

不安になったことからなんとかその不安を解消しようと躍起になっているその心労たるや、計り知れない。


必死になって不安をどうにか除去しなきゃとやっていると、向こうの方から、

「こっちこっち~!」とその人類たちは手を振ってくる。


努力、犠牲、計画。。。

これらが不安解消に使われる心のあり方。

そう教わってきたんだもん!


でもどーも違う。。。


こう振る舞う方がオトナだ。

こんな姿を見せるのはみっともない。

こんな考えを捨てる。



不安?

捨て捨て~~~!


痛い?

痛いままでいいじゃないですかー!


これをどうにか取り除くという努力や犠牲や計画が、

逆に不安や恐れがそこにある!と、

それをますます実在化させて重いものにしていくじゃないかー。


違うところを見る。

「こっちこっち~~!」の方向を見る。

不安が来たら、ポイポイ捨てる。



そして行為とは、努力も犠牲も計画もなく、

ただ喜びの中でするもんなんだなあ~とじわ~っと実感する。




絵:ラブロマンス表紙イラスト





2023年10月2日月曜日

愛に支えられている!

 


行き当たりばったりの人生で、ぶち当たっちゃあ、

そこで何かが生まれ、繋がり、形になっていった人生だったが、

それを思い起こすほどに、一番大事なことに気がついた。


「お前、あほちゃうか?まあええわ。

これから納品に行くからついておいで」


「君、何言っちゃってるの?

まあいいや。作品今持ってるんでしょ?見せに来れば?」


と言ってくれた彼らの想いがそこにあったのだ。

彼らの愛がなければ、今の私はない。私は愛に支えられている!


そうなのだ。全部愛だ。

仕事を依頼してくれるのも愛からだ。

できた作品にオッケーくれるもの愛だ。

そして却下されたり、直しが入るのも、それも愛ゆえなのだ。


今まで愚痴ってばかりだった~。

そしてまた自分へのダメ出しばかりだった~。

なんて自分への愛がなかったんだ!

自分への愛がないから、人の愛も感じられないのだ。


仕事くれても、プレッシャーばかり感じて、

わざわざくれたことへのありがたさを忘れてる。

とは言え全く感じていないわけではない。もちろん感じている。

しかしそれは本当の感謝ではなかった。


なぜか今はわかる。

自分が自分へ愛を与えてなかったからだ。

だから人からの愛を全面的に受け取れない。


私なんて、、、ゴミみたいな存在だから、、、

だから、、、そんな愛だなんてもの、受け取る資格なんてないわ、、、と。


見ているものがいつも罪ばかりだったから、

自分ができないこと、できてないこと、いたらないこと、

欠けているものばかりに目がいっていた。

直しが来ないように、問題を起こさないように、そればっかりだった。

だから苦しかったんだ。


だけどクライアントは、私の絵の喜びだけを見てくれてた。躍動的な明るさだけを。


自分が自分そのものを受け取っていれば、

その喜びはさらに喜びを増し、どんどん広がっていくのに!


だから内田氏に私の生き様を受け取ってもらえたことは、

私自身を肯定することになった。



今自分の過去の作品を洗いざらい見ている。

今まで悲しみで見ていたものが喜びの心で観れる。

一枚一枚過去のものを眺め、スキャンし、デジタルに収めていく。

まるで自分の過去を一個一個心に入れていき、浄化しているようだ。


今までは、それを受け入れなかったからこそ、

そこに汚点として「存在」していた。


でも受け入れることでそれが消えていく。

不思議な体験。

それは癒しとも言える。


私から作品という愛を創造し、

それを自分自身で受け取ることで、

それは光となって放射されていくのだ。




絵:ラブロマンス表紙イラスト