「つくしの存在がまったくないねえ。。。」
受付を手伝ってくれた、私の高校時代の友人が言った。
その日の葬儀はうち一組だったため、会場も一番大きな場所、祭壇は山好きだった父のために、山を連想させるような豪華な花にした。
故人を偲ぶコーナーには、父が生前に「これを飾ってくれ」とプロジュースしてきた、華々しい数々の表彰状や贈呈の品々、それにまつわる記念写真。私がもって来た若いころの父の写真も大きく引き延ばされ飾られてあったが、そこになにかが欠けていた。
「おかしいなあ、なんか足らん。。。。
あ!ウチのかあちゃんとの写真がないんや!」
私の母との31年間が、ごっそり抜けていたのだ。
数日前の会話。
「とーちゃんの写真、これだけしかないのん?」
「たぶん、一階の押し入れの奥にあるわね。あたしゃあ、見たことないがやけど。。。」
葬儀社の人に10枚のスナップ写真を用意してくださいと言われ、選んでいたときのことだ。あるのは最近の父と義母の写真ばかり。昔の写真はないかと聞いたときの、ちょっとふくみのある義母の答えだった。
一階の事務所をかねた部屋の突き当たりに押し入れがある。その奥を覗くと、うっすらと見覚えのある布ばりの古いアルバムが、隠されるように押し込まれていた。
埃を落とさぬよう4冊のアルバムをゆっくり引き出す。虫に食われた表紙を壊れないよう開くと、そこには初々しい警官姿の父がいた。若い父の姿を見て心がワクワクする。「わりことし(悪ガキ)じゃった」と本人が言う通り、牢屋に入って泣き顔を見せてる写真や、犯罪者がクビに掛けるプレートをかけている写真など、悪ガキっぷりが写っていた。
そして、はっきりと見覚えのあるアルバムを開くと、そこには私の母との結婚式の写真が。
次々に出てくる母とのツーショット。そして私の幼いころの写真。
「あ。これはやばい!」
義母がそこにいるわけでもないのに、あわててぱたんと閉めた。
「これはもって帰ろう。。」
だまって私がもらうことにした。
冒頭の友人の言葉は、そのまま父の人生の事実を伝えていた。
葬儀に出された写真は、父の若い頃、そして義母との生活の写真。そこに私の存在はなかった。両親が離婚したのち、私と一緒に写真を撮ったことはなかったのだから。
人は自分の過去の汚点を隠そうとする。
表彰されたこと、努力したことは美談として伝えられる。それだけを演出したかった父。だけど、自然と彼の寂しさはそこに現れていた。
死が近づいていた頃、父は私に母とどうして離婚したのかを話してくれた。父の視点から見ればそれは正当な理由だった。そして私は母からもその理由を聞いている。
ふたりの離婚の理由は、まったくちがうものだった。
それぞれの立ち場から考えると、どっちも正しい。この世は善と悪との戦いではなく、善と善との戦いだ。私はふたりの内のどちらにもつかない。だって、どちらの思いもわかるのだもの。
人の死は、何かを変容させる。
それを強烈に感じさせてくれたのは母の言葉だった。
母は、幼い私に暴力を振るう父を許せなかった。
「この人とは一生平行線。戦友として生きようと思った」
と常々言ってたように、父との結婚生活は、つらい思い出がつまった31年間だったようだ。
子供ながらにも、このふたりの結婚には無理があるなと感じていた。父もきつかったに違いない。それがいろんな所で噴出していたのだろう。じっさい再婚後の父は穏やかになっていった。それが私にはとてもうれしかった。
子供ながらにも、このふたりの結婚には無理があるなと感じていた。父もきつかったに違いない。それがいろんな所で噴出していたのだろう。じっさい再婚後の父は穏やかになっていった。それが私にはとてもうれしかった。
告別式までのあいた時間に母のアパートに行く。
「お父さんが逝ったのを聞いてから、ずっと寝れんかった。。。」
「今の私があるのは、あのひとのおかげ」
思わず耳を疑った。
「え?!そんなこというの、はじめてやん!」
すこしやつれた顔で微笑む彼女。
すこしやつれた顔で微笑む彼女。
「過去の辛かったことあるやろ?昔はそれを思いだすと、辛い感情ばかりがあふれていた。だけど今、そのつらかった過去は、痛みとともにはない。それをそのまんま見ることが出来る。なんちゃあ、つろうない。ただあったかい感じがある。今はお父さんと過ごした幸せな時間しか思いだせない」
父の死を聞いて、彼女の中で何かが動いていた。過去に起こった出来事を拒絶していない彼女がいた。
そしてこう言った。
「お父さんはねえ。この世でふたりの女を幸せにした男!」
ちょっとはずかしそうな顔をした母。
ふたりの女とは、だれでもない、母と、今の奥さんのことだ。
ふたりが離婚した後、私は二つの顔をもたざるをえなかった。
母との顔。そして父との顔。
離婚した夫婦の子供は、片親と会う時、もう片方の親の存在を消しながら会う。まるで「私はあなただけから生まれた子供よ」という、ある意味ムチャな役割を演じるのだ。
私の中にある、母に受け入れられない父の血が、ひそかに分裂を起こしていた。
それが、母のその言葉を聞いたとき、私の中でなにかがはじけた。
内側からなにかわからない大きなエネルギーがぶわっとあふれでた。
私のすべてが受け入れられている感じがしたのだ。
子供のように一瞬大泣きした。
それは分裂していた自分の身体が統合されたような、不思議な感覚だった。
それから母と抱き合って泣いた。
それは悲しみからではなく、何かが溶解した胸が熱くなる涙だった。
死は決して悲しいだけのものではない。言葉では解き明かせない変化をまわりにもたらす。父の死はそのことをはっきりと伝えてくれていた。
最後のお別れの時、父にそっと伝えた。
「とーちゃん。これはかーちゃんからの伝言。
『この世でふたりの女を幸せにした男!』やて。
すごい言葉もろうたね。
とーちゃん、ほんとにありがとう。
そして、おつかれさまでした」
火葬場で父を待ちながら見たすぐ近くの山は緑がムンムンしていた。『山笑ふ』とはまさにこのことだ。
それはまるでとーちゃんが笑っているかのようだった。