海沼武史の写真集は、もうお手元に届いたことと思います。
この2冊の写真集について、私なりに感じたことを書いてみたいと思います。
横の『廻向~transfer~』と縦の『奇蹟Lumière 』の2冊は、
たまたま横位置の写真と縦位置および正方形の写真に分けたかのように見えるが、
この二つには深い意味があって分けられていた。
横位置の本『廻向』は、横軸の世界が、
そして縦位置の本『奇蹟』には縦軸の世界が流れていたことに気がついた時、私は鳥肌がたった。
『廻向~transfer~』は、この世界の営みだ。
チャプターⅠは、早朝や夕暮れの八王子の風景。
人々の営みの中で起こるあらゆる思いを、
マジカルアワーが優しく包みこんで、私たちに静かに語りかけてくる。
チャプターⅡは、震災直後の陸前高田での光景。
悲しみと美しさが、見る人の心を押しては返す波のように行ったり来たりさせる。
チャプターⅢは、閉ざされた場所に立ち、
そこでいつも見ている世界が映し出されている。
ある人はこれを「祈りだ」といった。
横軸とは、水平線。
エドウィン・アボットのフラットランド的に言えば、平面世界。
私たちはこの物理的平面世界の中であてもなくさまよう。
水平の世界に苦しむ私たちは出口を見出せず、チャプターⅢで天を仰ぐ。そこに祈りがあった。
『奇蹟Lumière』は、縦軸。水平から垂直への移行。
『廻向』で仰がれた空は、『奇蹟』でいきなり青空に変わる。
そのタイトル通り「光」を捉えている。
『奇蹟』は、光、愛、神への賛歌とも言える。
天から降り注がれる神からのギフトが、
青空、光をとらえた小仏川、光を食す植物たちやモノ、石たちに変換されて現れている。
そこに人間の苦悩はない。神はその苦悩を知らない。ただただ喜びが歌われている。
あとがきに「空とは物理的な現象世界で知覚しうる最大サイズの被写体」とある。
空が形なき被写体であるのに対し、
チャプターⅤは「その空が明瞭な輪郭を纏い、
『美しい存在』として自信を現す一瞬を定着させようとした」と。
まさに光が形をまとった姿。
『奇蹟』の最後は『廻向』に寄り添っている。
『廻向』は人が天を仰ぎ、『奇蹟』は神のその手が人に触れようとしている。
ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井に描かれた
ミケランジェロの『アダムの創造』のあの有名なシーンを思い起こさせる。
縦軸と横軸が交わったところにこの2冊の写真集を見る。
そこはすべてが融合し実相世界が垣間見えるところだ。
一見あまり人を喜ばせないかのようなこの2冊の写真集。
それを意識的に覗いていくことによって、
それを見ている人自身の内面が現れて、
知らないうちに解放されていくのかもしれない。
何度も見返したくなる不思議な写真集である。
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