感情と体の感覚は密接に繋がっている。
イライラから、ぞくっとするものまで、
体を観察するとそれぞれに反応しているのがわかる。
イライラはピリピリした感じ。
不協和音がピョンピョンと不規則に現れて、
体のどこかがチクチクする。
お化け屋敷など、体全身が痺れる感じ。
他人に対する怒りは、体がギュッと凝縮して、
個と個がはっきりと別れ、自分と他人が分断された感じがする。
恐怖が襲った時、キーンと頭の中に音がして、すべての感覚が一瞬止まったかのようになる。
そしてこの世界から自分だけがはじき出されひとりぼっちにされる感じ。村八分な気分。
怒り、悲しみ、嫉妬、どれも恐れが別の形をとっただけだ。
すべて体をすごく意識させられる。
恐れが来た時、
「自分は体で、限りがあり、弱い生き物だ」
という信念をぐんと強化する。
しかしもう一方、分離を感じない感情がある。
それが喜びや幸せ感。
喜びを誰かと一緒に味わったなら、
誰かの体とか、私の体なんて考えもしない。
分離感が全く消える。
一緒に喜びあい、一緒に笑い合い、一緒に幸せを感じる。
ワンネスという言葉がポピュラーになって久しいが、
そのワンネスの意味がコースを通じて知り始める。
本当に私たちは一つなのだ。
ひとつってことは、同じってこと。
誰かを責める時、実は自分をも責めている。
誰かに怒りを感じる時、自分を怒っているのだ。
人を呪わば穴二つ。よく言ったものだ。
まさにそれだった。
誰かを傷つける時、自分も傷つけている。
誰かをコントロールしようとしたり監視する時、
その人を檻の中に入れている。
しかしその檻のとなりに、もう一つの檻がある。
そこに自分も入っているのだ。
だけど喜びもまた同じだった。
誰かに幸せを送ると、自分も幸せになる。
誰かを祝福すると、自分も祝福される。
そして誰かを赦すと、自分もまた赦されるのだ。
その時、分離などない。
体など意識もしない。
その時、体は消えている。
愛の感覚が水面に広がる波紋のように、さあーっと広がっていく。
そこには自分とか他人とか、そんなことどうでもよくなる喜びが溢れていく。
愛か。恐れか。
聖霊か。自我か。
選択はすごくシンプル。
だけど難しい。
でも一旦その違いがわかり始めたら、
もう前には戻りたくなくなる。
絵:けんぽ表紙イラスト