晴れたお昼、気持ちのいい原っぱで、絵描きの友達とおしゃべり。
私:最近の私がやっていること。何もしない!
これがねえ。めっちゃ難しいのよ。
何もしないでいられないのよ~
友達:あはは。それって、逆筋トレだね!
私:逆筋トレ!それだ。言えてる!
友達:それにしてもなんで何かやろうとするんかねえ、私たち。。。
あれだあれ。『路頭に迷う』
ボケーっとしてると、路頭に迷うから、ボケーっとしててはいけないって思っちゃう。
私:路頭に迷う~~~。その恐れ、思いっきりある!
友達:けど、そもそもそんな人いたっけ?
私:いない~~
路頭に迷う人はどこにもいない。ホームレスさんでさえ迷ってはいない。なのに私たちの心の中に深く刻まれた恐れはそんな言葉の中にも表れている。
友達:他にもあったよね。こんな言葉。
私:働かざる者食うべからず!
友達:それだあ~~っ!
私&友達:苦労は買ってでもしろ!!!(爆笑)
友達:これ、日本人しか言わないかも〜〜w
先日、近所のおじさんと道端トーク。
70過ぎのかれは、今も現役フルタイムで仕事をしているが、休みの土日は畑と釣りに行く。今は冬だからもっぱら野良仕事。2年前、畑のやり過ぎで首の神経をやられて大手術をしたが、後遺症がいまでも残っている。腰と手を痛そうに揉む彼を見て、そんなに頑張らなくても、、というと、
「いやいや。無趣味なんでね。家でぼーっとしているわけにもいかんでしょう」と答えた。
フルタイムで働いて、たまの休みも何かをやって埋める。
みんなどこかギリギリのところで体をだましだまし使いながら、常に何かをやるということに追い立てられている。
何かをしなければいけないという焦燥感は、老いてもなお続いているのだ。
それほどまでに私たちに深く埋め込まれた信念。私の中にもしっかり備わっていた。
だからじっとしていられないのだ。
コースを学び始めてもまだまだ心にあった不安感。
何もしないことは大きな罪のように感じて、常に何かをしようと考えていた。
絵を描くことも「いつかどこかでこの絵がお金になったら、、、」
そんな思いで描いていた。
「私は肉体ではない。この世は幻想だ」と言いつつ、
自分は肉体だからお金を稼いでこの大事な体を生かしていかねばならないのだとしっかり考えていた。
それでも未来への不安は消えてきている。
計画などいらなかったと、心は安堵している。
今24時間自分のために使える日々を過ごしている。
一見かっこいい言い方だが、なんのこっちゃ、仕事がないだけである。
だからこそこれを使わない手はない。
逆筋トレをやるのだ(笑)。
しかしなんだな。
何もしないをやるって、無茶だな。
それって、瞑想しようと思って思考を力づくで止めようとすることと同じだ。
思考は止めようと思って止められない。
自然と止まるものだ。
何もしないことは、やることではなくて、
自然と起こることなのだろうな。
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