すること。
しなければいけないこと。
私たちはそういう行動にしばられている。
したいこと。
したくてたまらないこと。
そういうことは、むしろさける。
どこかで、義務や、役割、責任のある行動をすることを優先する。
それが大人のすること。それが大人のあり方。
そういう責任ある行動をすることは、
こうあるべきことを、ちゃんとやっている大人な私。
大人なわたしって、えらい。
それをすることは、人にほめてもらえる。
人に「ここにいていいよ」という許可を与えてくれる。
と、思って、信じている。
でも、ほんんとは誰もそれについて、許可をあたえてくれない。
その行動を見て、
「うん。おまえ、ここにいてよし」
とは言ってはくれない。
ただ自分が、
「うん。わたし、ここにいてよし」
と言ってるだけなのだ。
それは自分の中の「きびしい声」にあわせているのかもしれない。
どこかでいわれたこと。
そうあるべきこと。
この世はそういうルールにのっとって、生きていくべきだという考え。
その考えが、いつのまにか、「自分の考え」になってる。
ほんとはしたいことはあるのかもしれないけど、
優先順位の一番奥の方。
なぜかわからないけど、むしょうにしたいこと。
これなんて、最下位。
いや、したいことすら、見えなくなっているのかも知れない。
あまりに、やるべきことだらけで。
したいことも、することも、
行動を起こすこと。
何かをやっていなければ、認めてもらえないなんて、なんだかつらい。
じゃあ、そこにほげっとしてるってのはだめなの?
何かをやっていなければ、認めてもらえないなんて、なんだかつらい。
じゃあ、そこにほげっとしてるってのはだめなの?
何もしないてのはどお?
何もしない自分を、認められる?
なにもしない自分をそっとみる。
何もしない自分を、認められる?
なにもしない自分をそっとみる。
だた、そこに「ある」こと。
するも、しないもなく、
ただそこにいる自分。
ただそこにいるその今いる自分をそのまんま感じる。
まるっと、まるごと、かんじる。
苦しいも、イライラも、もやもやも、はらはらも、
そのかんじ、そのまま、まるっと、かんじる。
全身でかんじる。
たった、それだけのことが、
何かをやるよりも、
はるかにパワフルなのだ。