2017年3月25日土曜日

するべきこと


すること。
しなければいけないこと。

私たちはそういう行動にしばられている。

したいこと。
したくてたまらないこと。

そういうことは、むしろさける。

どこかで、義務や、役割、責任のある行動をすることを優先する。
それが大人のすること。それが大人のあり方。

そういう責任ある行動をすることは、
こうあるべきことを、ちゃんとやっている大人な私。
大人なわたしって、えらい。

それをすることは、人にほめてもらえる。
人に「ここにいていいよ」という許可を与えてくれる。

と、思って、信じている。


でも、ほんんとは誰もそれについて、許可をあたえてくれない。
その行動を見て、
「うん。おまえ、ここにいてよし」
とは言ってはくれない。

ただ自分が、
「うん。わたし、ここにいてよし」
と言ってるだけなのだ。

それは自分の中の「きびしい声」にあわせているのかもしれない。

どこかでいわれたこと。
そうあるべきこと。
この世はそういうルールにのっとって、生きていくべきだという考え。

その考えが、いつのまにか、「自分の考え」になってる。


ほんとはしたいことはあるのかもしれないけど、
優先順位の一番奥の方。
なぜかわからないけど、むしょうにしたいこと。
これなんて、最下位。

いや、したいことすら、見えなくなっているのかも知れない。
あまりに、やるべきことだらけで。



したいことも、することも、
行動を起こすこと。

何かをやっていなければ、認めてもらえないなんて、なんだかつらい。
じゃあ、そこにほげっとしてるってのはだめなの?


何もしないてのはどお?
何もしない自分を、認められる?

なにもしない自分をそっとみる。

だた、そこに「ある」こと。
するも、しないもなく、
ただそこにいる自分。


ただそこにいるその今いる自分をそのまんま感じる。
まるっと、まるごと、かんじる。

苦しいも、イライラも、もやもやも、はらはらも、
そのかんじ、そのまま、まるっと、かんじる。
全身でかんじる。


たった、それだけのことが、
何かをやるよりも、
はるかにパワフルなのだ。





2017年3月23日木曜日

菜の花の視線


今日の畑。


畑いっぱいにアブラナ科の雑草(笑)が、花芽をつけはじめた。
いわゆる菜の花。


ありとあらゆる葉っぱの形をしている。丸いもの、ギザギザしたもの、濃い緑、淡い緑。でもみーんな花は黄色。


一仕事終えて、菜の花畑に身を埋める。
やわらかくて、やさしい。





ふと、視線を感じた。
菜の花たちが、いっせいにこっちを見ているのに気づく。

ひえ。見られてる。。。

胸のあたりが、あつーくなった。

2017年3月22日水曜日

母の罪の意識



母はわたしが小学生の頃、毎週末室戸と高知を往復させ、とまりがけでひとりで塾に通わせていた。

片道2時間のバス。室戸の家に帰り着く頃には、夜中の12時をすぎた。
ときどきその話しをする母。今日それが彼女の罪の意識から来ているのだと知る。彼女は自分の独断で、わたしにかわいそうなことをしたと思いつづけていたようだった。

当の本人は「へ?」という感想。
確かに、2時間立ちっぱなしだったことも多々あったし、塾の授業も、チンプンカンプンだった(笑)。自分が何のためにこうして毎週通っているのか、意味もわからなかった。

しかしそのおかげで、根性ついたと思えたし、田舎と都会を行ききし、幼い子供の眼で両方の世界を観ることによって、視野も広がっていた。今から思えば、ニューヨークくんだりまでいけたのも、そのときの忍耐力のたまものといえるかもしれない。

そしてときには、
「おねえちゃん。バス停ついたよ」
と、爆睡しているわたしを運転手さんがおこしてくれる、人のやさしさも学んだ。

「むしろ、感謝してるよ」というと、
電話の向こうで、むせび泣く母の声が聞こえた。


すこしだけ、彼女の罪の意識がほぐれた瞬間だった。


絵:「COOPけんぽ」表紙イラスト/ピクニック


2017年3月21日火曜日

エゴイスティックになることは修行である


ダグラスハーディングは、その一生を通じて「頭がない者」という指さし実験をして、「自分とは何か」ということをさぐって行った哲学者だ。

本当は、自分とは、何もない透明で空っぽな存在なのではないか?という大胆なメッセージを送り続けた人だ。

22年前に描いた「ロードムービー」というわたしの絵本が、まさに彼のいう「頭がない者」の視点と似ているのではないか?という気づき。

昨日、彼の本の翻訳家である高木悠鼓さんの勉強会にいって来た。
前頭葉がばきっと飛び出した、非常に知的な女性だった。
はじめてであった人に、あつかましくも例の絵本を見せた。

「彼がまだ生きていたら、まさしくこれだ!と言ったはずよ。」とうれしい言葉をもらった。

あの絵本は、誰の視点も入れず、ただ自分の中からだけ出てきたものを描いた。職業としてのイラストレーターの視点ではなく。

彼女の著書/「人をめぐる冒険」の中に、
「中途半端に他人のことを考えるよりも、徹底して自分のことだけを考えるエゴイストになる方が、最終的には他人の役に立つのです」
という言葉がしみた。

イラストレーターという職業柄、どうしてもだれかの視点を入れてしまう。それが本来の自分だけの視点を濁らしてしまうことを痛感する。

また、それを押し通すことがおそろしくもある。
30年もひたすら人の視点にそうように(実際そえていたかどうかは置いといてw)絵を描いて来たのだから。
でも仕事で描くもの、そして自分の仕事としての作品は、もう別れてもいい年頃だ。

彼女の言葉が、背中を押してくれているように感じた。



2017年3月18日土曜日

言葉のない絵本、顔のない絵本。




今から22年前に出版されたわたしの絵本を紹介します。
今から思えば、よくこんなぶっ飛んだ絵本を出版してくれたものだなあと、あのとうじの出版社、そしてそれを見つけてくれ、出版にまでこぎつけて下さった編集の方に本当に感謝します。

この本は、「言葉のない絵本」として3部作出されました。
つまり、言葉がありません。
その絵本を手に取った人が、その人独自の解釈でもって、物語をつむいで下さいという、かなり前衛的な絵本でした。

その3部作を紹介したいと、あるテレビ局の方から電話があったこともありました。残念ながら、わたしの事情でそれが紹介されることはありませんでしたが、出版社さんには申し訳なかったと思っています。雑誌などで紹介されましたが、その後廃刊になってしまいました。



この絵本にはわたし個人のたくさんの思い入れが入っているのは知っていましたが、
久しぶりに開いてみると、今の自分が考えていること、めざしているもの、探求していることが、そのまま絵になって表されていたことに驚きました。



この絵本の主人公は、ひとり車に乗って旅にでます。
開かれてすぐ気づかれると思いますが、この主人公には顔がありません。

絵本やマンガには、主人公は顔をもって現れてきます。読者はその主人公の様子を外からながめて、その主人公と一体となって、物語の中に入って行きます。
ですがこの絵本は、主人公の顔がありません。
それはまさに今、私たちが見ている世界そのものと同じ状態なのです。

私たち自身に見えているのは、目の前のあらゆるモノたちと、自分の手、腕、脚、身体、です。
かろうじて見えるのは、ぼんやりと見えている鼻?
私たちは「自分」と指さす、「自分」の象徴である「顔」が、どうやっても見えないのです。鏡に映ったものは逆さまになっている。写真で撮ろうが、水に写そうが、直接的には見えないのです。


自分であるはずの象徴が、私たちには直接見えない。
一体、誰が見ているのでしょうか。
直接見えないこの「自分」とはいったいなんなのでしょうか。


そしてもうひとつのこの絵本の特徴は、この主人公は目の前で起こっている出来事を、
ただ観ているだけなのです。
魅力的なお姉ちゃんにも関与しません。
ただ観照している。
すべての出来事に参与することなく、感情を動かすことなく、ただ淡々とこの世を観ているだけなのです。

このことにわたしは驚きました。
22年前、わたしはすでに観照者であることを無意識に知っていたのです。
いや、子供の時から、すでに知っていた。そして、ただそれは忘れ去られていただけなのだと。




 目の前をUFOが飛ぼうが



 浮浪者と出会おうが



 主人公はどこに向かっているのでしょう。


 さらには、たった一枚のコインに運命をゆだねます。
自分で試行錯誤しない。
この世の流れに、完全に身を委ねているかのようです。

 


 どんどん怪しい世界に入っていきます。
それでも進んで行きます。




そして。。。

 

その後、この主人公は車を降りて、どこへ向かったのでしょうか。
ここからは、読者自身が想像を膨らませて下さい。


大人になって私たちは、物事の出来事にいろんな価値を与え、干渉し、感情を揺り動かし、物語の中に飲み込まれて行きます。そしてその中で苦悩し、溺れて行きます。

しかし幼い子供たちはちがいます。
目の前におこる出来事に、何の解釈も入れず、ただ興味深げにながめているだけなのです。そこにはこの世界にたいする深い信頼があります。
「この世」対「自分」という分離したものは存在していません。この世も自分もおなじものなのです。

この絵本がその視点に立って観ていることだったのだと、22年後に気がつきました。
この絵本は、大人のための絵本だったのです。


出版された当初、読者の方々から、嬉しいお便りをたくさん頂いていました。
その中で、息子がこの絵本を見ながら、次々に新しいお話を作ってくれるというものがありました。
子供たちは天才です。大人の固くなった頭を柔らかくほぐしてくれます。

幼かった頃、いろんなものに恐がりもせず触れていた自分を思いだします。
母がいうには、よちよち歩きの頃、アオダイショウの頭をなでていたそうです。

日々のいろんな気づきが、わたしを柔らかくしてくれています。


絵本「ことばのない絵本シリーズ/ロードムービー」
1995年 アリアドネ企画 三修社

2017年3月14日火曜日

ある雨の夜


毎晩、夜寝る前に窓を開けて外の空気を入れる。
正確に言うと、石油ストーブを消すとにおいがでるので、部屋の空気を入れ替えるのだ。

部屋の電気をすべて消してゆっくりと窓を開ける。
山の空気が部屋の中にサアーッと入ってくる。家の中と山の中が交じって一体になる瞬間だ。

わたしは軽く座禅を組み、じっと外の「音」をあじわう。
目の前の川のせせらぎ、フクロウの声、風の音、風が樹々をなでる音、電車の音、かすかに聞こえる野生動物が草をわける音などをただ聴く。

風はやさしくそっとほほをなでる時もあれば、つめたくたたくときもあり、そして雨だれをつれてくるときもある。
そんな時は、においも一緒につれてくる。土の湿ったにおい、梅の花の香り、どこかで花ひらいた甘ったるい樹々のにおい。

冬の間、沈黙を守った生き物たちも、やがて4月のカジカの第一声とともに活動が始まり、にぎやかな夜をつれてくることだろう。



ほんの二日前。
窓を開けると、小雨が降っていた。夜雨の予報はなかった。ふいのことにわたしの心は踊った。夜の雨は大好きなのだ。

少しして、わたしはあることに気がついた。
心がいつもとはちがう感覚にいた。
この感覚が何なのか、しばらくはわからなかった。


信じがたかったが、わたしはこの雨に恋をしていた。
心の底から、なにかわからない、ほとばしるようなおもい。
恋して、恋して、恋いこがれて、なんと表現していいかわからないほどの熱い思いが、この目の前の雨に向かっていたのだ。

恥ずかしながらも、わたしはその雨に向かって両手を開いていた。
だけど。
言葉は何一つでなかった。

言葉にならないほどの恋を、その雨にしていた。


絵:「抱擁」/和紙、洋紙、水彩、オイルパステル


2017年3月12日日曜日

スピは対処療法


パワースポットに行ったり、パワーストーンを持ったり、アファメーションをしたり。

スピ系の心の癒しは、頭痛をとめるのに頭痛薬を飲んだり、つらいものを一時的に改善させる対処療法に似ている気がする。
スピの心の癒しも頭痛薬も一時的なものだ。

神社にお参りをして、
「ああ、心が清らかになった。あしたっから、さあ頑張ろう!」
というのと、頭痛が絶えられないから薬を飲んで、
「ああ、楽になった。さあ、今のうちに仕事を仕上げよう!」
というのは、同じ発想から来ている。
今ある不安や苦痛を、外の何かで変えてもらうことだ。

一時的に楽になったそのときはいいが、根本的な治療ではないから、またその苦しみはやってくる。そうすると、またパワースポットや、呪文や、薬に頼ることになる。薬もスピも依存的になる。


外の何かで変えてもらおうとすることは、今ある何かに抵抗していることなのだ。
今ここにある不安や、今ここにある痛みを取り除こうとして、抵抗している。
不安や痛みは「あってはいけないこと」と思っているから、それに抵抗しているのだ。

人は不快を感じると自動反応のようにそのことに抵抗する。
そして無意識に、それを変えてくれる「なにか」を探し始める。その先にあるものが、先生だったり、セミナーだったり、薬だったり、神社だったり、呪文だったり、アファメーションだったり、パワースポットだったりする。

だがそれはきりがない。外の何かに治してもらっては、またもとの不安に戻り、また治してもらっては、もとの不快に戻っていく永遠の循環。。。。



その方向転換をしよう。
もし本気でその循環を止めようと思うなら、対処療法をやめよう。


不快がおこったとき、その不快に抵抗をせず、その不快と向き合う時間を持とう。

そのためには、不快を感じている自分に気がつくこと。不安な気持ちを持っているその瞬間に気がつくことだ。

そして次の瞬間、「何かをしようとしている自分」に気がつくことだ。
それは頭痛薬やパワーストーンを探しに行こうとする自分。
「こんなときはアファメーション、アファメーション。。」と、なにかの言葉を唱えることを探している自分。
何かをして、たとえばテレビを見るとか音楽を聞くとか、今の不快を「なかったことにしよう」とする自分。
その不快をだれかのせいにして、自分を正当化しようとしている自分に気がつくことだ。

抵抗に気がつき、その不快から逃げようとしている自分に気がつき、何かをしようとしている自分に気がつく。



それはおそろしいことかもしれない。
逃げたくて逃げたくて、その場にいられないかもしれない。
だが、そこにいよう。
そのことがどれだけパワフルなことかわからないだろう。
そりゃそうだ。そんなことだれも教えなかったのだもの。
学校じゃ、「問題があったら、解決策を探しなさい」と、人生の最初の頃に教わって来たのだもの。
生徒たちは「問題なら、そのままにしときなさい」とはいわれなかったのだから。

だが「そのままにしときなさい」なのだ。
そのまま、不快と向き合い、不快とともにあり、不快を味わう。
その時間こそが、最も自分をパワフルにさせていく。

不快にさせた誰かにえんえんと文句を言っている、その頭の中の言葉に、耳を傾けなさい。ただ聞いていなさい。訴えてくる小さな子供の声を、やさしく聞いてあげなさい。
不快でブルブル震えるからだをただ感じていてください。苦しさのあまり、頭痛薬を飲む自分に気がついていてください。そこに罪悪感も持たないように。飲んでホッとしている自分にも、「ああ飲んでしまった」という思いにも、ただ気がついていてください。


ただ気づいている。
そういう時間を意識的にもつ。
すると、心の奥に、なにかパワフルなものを感じるはず。
問題の解決策が、今まで考えた方法ではない形で、ふいに頭に浮かぶ。
思考で考えついたものではない、なにかがやってくる。
その経験が、何もしないことの意味を教えてくれる。
言葉ではないなにか。思考ではないなにかがある。

あなたはもう外の何かに頼らなくなる。


絵:「自画自賛力」MF新書表紙イラスト
(自画自賛ってのも、ある種のアファメーションだよな。ほめ言葉によって自分を奮い起こさせる。だけどそんなものもいらない。)

2017年3月8日水曜日

モチ粉ケーキをつくってみた



むかーし、ニューヨークで「モチ粉ケーキ」とゆーものを作って、毎日食べていた。

なぜかっちゅーと、あっちじゃ大福は贅沢品。ときどきジャパニーズグロッサリーにいって、憧れの高ーい大福を買ってきては、その一瞬だけ味わって終わりだった。

そのフラストレーションを解消してくれるモノが「モチ粉ケーキ」!

アメリカのスーパーに安く売っているモチ粉に、牛乳やら、小豆やらをまぜまぜしてオーブンで焼くだけのシンプルなお菓子。だけどまわりのカリカリにこげたのと、中のモッチリした感触が絶妙なお菓子だったのさ。

一度作っては、小分けにして冷凍庫にいれ、そのつどオープンで焼き戻して、カリッカリのもっちもちにして、それが朝ご飯。

今日はなぜか上新粉があるのを思いだして、モチ粉の代わりに上新粉で(なんと贅沢な)、モチ粉ケーキもどきをつくってみたわけさ。

ダンナが仕事から戻ると
「お!モチ粉ケーキの匂いだ!」と気がついた。鼻オンチのダンナでもさすがにあの匂いはわかったか。

出来上がって、さて味見。
本来のモチ粉ケーキより上品なお味になった。これがいーんだか、悪いんだかわからぬ。
だけど思い出の逸品に、感無量。

これがわたしの誕生日プレゼント。
56歳、おめでとう。
かあちゃん、ありがとう。

写真がヘタ過ぎてぴんぼけやし、じぇんじぇんあかん。
とりあえず「こんなやつです」と、のっけてみる。
ご笑覧ください~w


底の方にあるのが、あずき。


2017年3月6日月曜日

つく汁、飲んでみる?


バイト先じゃ、わたしは「無能な人」。

時間までに商品を作れない。
きれいな商品に出来ない。
たよりない。

かつてニューヨークでガンガンにペーパーバックの表紙を飾っていたこのわたしが「無能な人」(笑)。


でもほんとうは、小学校の頃から「のろま」で通っていた。
何やっても遅い。何やらせても出来ない。そんな存在だった。

それががんばって、がんばって、がんばってやってきたが、ここにきて、
やっぱりもとの「無能な人」にもどった。

なーんだ。
やっぱりここに落ち着いたか。

それがなんだか、ここちよい。

バイト先じゃ、わたしは出来ない人。
だから期待もされない。



今まで、がんばってき過ぎたなあ。。。そうしみじみおもう。
あの「のろま」なわたしが、よくぞここまで。。。と。

仕事の出来ない人は、ある意味、必要な存在じゃないかと思うんだ。

なぜかとゆーと、ちょっとムリをすれば、できる。
ホホーできたか。
じゃあ、もうちょっとムリをすれば?
お!出来るじゃないか。
じゃあ、もうちょっと、もうちょっと。。。。
と、どんどんムリが重なる。

そうやってこの今の社会は成り立っている気がする。
その結果が、心もからだもぼろぼろになる。そんな現状を作ってきたのではないか。

アマゾンの無料宅配が、ヤマトの宅配さんを圧迫している。
わたしも日々ヤマトさんに頼んでいるけど、見るからにたいへんそう。

ちょっとがまんすれば。。。ちょっとむりすれば。。。ちょっとがんばれば。。。
そういう、ちょっとちょっとの頑張りが、出来ちゃう結果が、これだ。


わたしゃ、がんばらない。
いや、がんばれない。

いや。がんばろうと思えば、がんばれる。
だけど、それをやって、どうなる?
もっときつくなるだけや。

私らの時代は、がんばることが美徳だった。がんばって、いい結果を出す。これがなによりの報酬。

だが、そこにあるのは、ただ自分が「出来る人」とおもえる満足感を味わえるだけ。

そのときは、まわりも「よくがんばりました」と、ほめてくれるだろう。だけど、それは一時のこと。そのすぐ後にまたほめてもらうためにがんばらなくてはならない。それはきりがない報酬じゃないか?
そしてそのあとは?
ただ、自身のからだのきつさが残る。

満足感や達成感のためだけに、自分の身体を犠牲にするのかい?

わたしゃ、「出来る人」をやめる。
「出来る人」を演じるのをやめる。
出来ないままにいる。
本来の自分でいる。

そういう人がいてもいいんじゃないか?
無能な人、仕事場で迷惑な人、空気読まない人、そんなひとがいる。
そういう人が、結果的に、どんどん加速度的にきつさが強くなって行く、この神経質な社会に、ストップをかけて行く。このままでいいんだろうか?って、疑問を投げかける。

そして、じょじょに社会は変化して行く。
もっともっとの時代から、
結果結果の時代から、

人の本当の幸せとは何か?
モノではない、幸せとは何か?
と、考えはじめる時代へと。


そういうことの始まりをおこす無能な人を「つくしる」という。

「つく汁」、飲んでみる?

(いらんいらん)



絵:「江戸めしのすすめ」/MF新書表紙