2013年11月27日水曜日

罪悪感の押し入れ


 
人は自分に正直じゃない。
自分の心が今どういうふうに感じているかって、あんまし真剣に考えたことない。心って得体が知れないし、目に見えないし、におわないし、手で触れないし、ほんでもって、人にも見えない。


わたしらは、小さいときからいろんなことをゴマカスことを覚える。ゴマカして親にバレなかったりすると、
「しめしめ。ちょろいもんだぜ。」
って後ろむいて舌を出す。
どっかで罪悪感にかられながら、その場をうまくやりすごせた成功例によって、技術をひとつ身につける。
なんせ人に見えないからね。

こーゆーふーに、ゴマカしてきたものは、押し入れの中に、そーっとかくされている。そのふすまには、大きな字で『罪悪感の押し入れ』と書かれている。
人は人をごまかすけど、最大のごまかしは、自分へのごまかしなんだな。

え?なんで自分をごまかすの?そんなわけないじゃん。

ほんま?


わしらはいろんなことを、特に感情に対して、いいこと悪いことという定義づけをしている。
怒ることは悪いこと。
叫ぶことは悪いこと。
泣くことははずかしいこと。
怖がることははずかしいこと。
嫉妬することはいけないこと。
あせることはいけないこと。
動揺することはみっともないこと。

これがけっこう深~いところで居座ってる。

だからほとんど自動的に、腹が立つと平静を装う、泣きそうになると平静を装う、動揺すると平静を装う。人になんて見せられない。自分でだってみたくない。
「なかったことにする」
なんて言葉は言い得て妙だ。

こーして自分をゴマカスことに長けたわけだ。
だもんだから自分に正直になんてムリ〜。だってそのふすまを開けるには、目の前に書かれてある『罪悪感』という文字をいやでも目にするから。

ところが、量子力学でいくと、信じたものが物質化するので、ホントのホントのところで信じているものが現れる。だもんだから、引き寄せの法則は、ホントの自分が信じたところが引き寄せられてるわけだな。ネガティブなものを引き寄せるのは、そっちのほーに意識があるから。

別にネガティブが引き寄せとつながっているわけじゃない。宇宙のシステムは、ポジティブもネガティブもない。すべてはニュートラル。信じたものが現れる。まちがいなく。誰にも例外はない。
とゆーわけで、じゃあわしらは自分が「今何考えてるかー!」を知るのが大前提なわけだ。

よくかんがえりゃ、欲しいもんを必死で考えて引き寄せる状況というのは、まず欲しいものがあるというアイディアの後ろに、
「わしにはそれがない!」
と信じてるわけだ(笑)。

そこを知るのが、自分に正直になることのはじまりなのだ。
自分を見るのに罪悪感がじゃまをする。でもさ、誰も文句を言わないよ、自分以外。自分以外だーれもそこを見る事に文句はいわないわけさ。

罪悪感と書かれているふすまは、単に書かれてあるだけだ。がらっと勇気を持ってあけてみよう。罪悪感のメガネをはずして自分の感情を見よう。

怖がっているのは自分だけで、見ちゃいけないと思っているのは自分だけで、
じつはたいしたことではないのだ。


絵:MF新書「ヘッドハンターはあなたのどこを見ているか」表紙イラスト
日本のトップヘッドハンターが見抜くあなたの才能!自分の可能性を見抜かれるには、まず自分を知り尽くすのだあ〜!

2013年11月22日金曜日

サトイモに芽?もう?



今年はやっとサトイモらしきものがとれた。無肥料でおっきなサトイモがごろごろ。うっひゃ~。
が、よくみると、子イモに早くも芽がでている。中には5センチぐらいも伸びているヤツもある。
はて。11月の後半に芽は出るもんなんだろか。
これ、ふつーなんか?

いつもは4月頃に芽出しをする。
あっためたり「こりゃ、起きローッ!」ちゅーてオドシをかけたりして(?)、なだめすかして芽を出していただくのだが、今年は11月にもうさっさと芽を出し始めた。気がはえーなー。

さっそく無肥料栽培の方に聞くと、やはりそちらの畑もサトイモに芽がでているらしい。しかももっとのびてる。。。!
そーゆーこともあるのかとおもいきや、そんなことはこれまでになかったもよう。


おおっ、。。。と妄想爆裂やまんばの、妄想のーみそが騒ぎだす。
こっ、これはイジョーゲンショーとゆーたぐいのものではないか!(ほらきた)

折しもタイミングよく(?)、昨日行った市場の魚屋さんいわく。
「今年は、鮭も、イカも、エビもまったくとれないのよ。今度の荒巻鮭はそーとー高いわよ~」
っと、おどされた。げげげ。
「なんで?」
「海水温が高いのよ。それでまったくだめ。」
「え~~~、まだ海水温高いの?」
「そう」

地球温暖化といわれて久しい。だけど気温自体は温暖化どころか、どんどん寒くなる気配。しかし台風は巨大化するわ、いつまでも発生しつづけるわ、なんかおかしい。そこにつけて、火山爆発の発生率の高いこと。おとついも小笠原諸島の一角で海底火山が爆発したし、世界中のあちこちで下からなにかがおこっている。

ニュースいわく、これは人間が出す二酸化炭素のせいだそーだ。
すごいなー人間!
二酸化炭素のせいで気温が上がると、海水の温度まで上げちゃうし、海底で火山まで起こしちゃうくらいすごいんだ。

しかしぜよ。
お風呂の中で、風呂場の空気の温度をいくら上げたところで、風呂の水は沸かせないど。
こりゃどーいたことぜよ。

やまんばは妄想する。
よーするに地下の温度が上がって来てるんでないかい?え?
地球さんの内部で何かが熱くなって来てて、それの影響で海水温はあがる、地熱もあがる、ついでに火山も爆発する。。。
最近よく海底生物が浜辺にうち上げられてたり、漁師の網に引っかかってたりするのは、海底が熱くなってて、海底生物が、
「こりゃ、熱うてかなわん」
ゆうて、上に上がって来て漁師の網に引っかかったんじゃね?

最近の寒波は何かっちゅーと、これもまた地球さんのバランス感覚?
よーするに、下で熱いから、上で冷やしてるんじゃね?風邪引いたら氷で頭冷やすよーに。

げげげっ。
地下でなんかおこりゆうがやろか。(注:何かが起こっているのだろうかの意)

ねえねえ富士さん。富士さん、富士さん。
だいじょぶだよ、ね?ね?ね?
(びびるやまんば)

2013年11月20日水曜日

また会えますか、あたらしい陽の中



仕事をしながら、先日亡くなった友だちの事をおもいだす。
彼女と一緒にいたときの雰囲気、空気感。まるで今ここに彼女がいるようなそんな感覚。

そんな時見つけたユーチューブ

小田急線のコマーシャルで聞いた事のあるフレーズ。

「あなたは今どの空を見ているの?
虹の向こうの遠い日(陽?)を見ているの。
水平線がゆっくりと一つに重なれば、
また会えますか、あたらしい陽の中。。。。」

この言葉がいやにひびく。
彼女はいま虹の向こうの空を見ているのだろうか。
いまどこでなにをみているのだろうか。
死後の世界をもう知っているのだろうな。
それともその記憶も消して、もう新しい肉体の中に入っているのだろうか。

私達は輪廻の中で、同じ存在同士とよく会っていると言う。
今、やまんばのまわりにいる役者さんたちは、来世でもまったく役柄を変えて、だいたいおなじメンバーがそろっていると。
だからこにくたらしいおばばも、口の悪い近所のじじいも、前世では自分の子供だったりダンナだったりするんだとよ。
場合によっちゃ、村まるごとひっくるめて同じメンバーがそのまんま生まれ変わってたりするそーだ。
ひょっとすると、高知のど田舎の限界集落に生きてたじじばばが、六本木ヒルズの住人たちだったりするんかいな。

それは人生とは?物質社会とは?感情とは?宇宙とは?という壮大な謎解きと、究極のゲームを味わう、粋なはからいなのかもしれない。

だから一つの共通の探求するテーマがあれば、また出会う可能性は高い。

「もしもだけれど同じ夢いっしょにみられれば、
また会えますか、あたらしい陽の中。。。」

こんな言葉にもそんなメッセージが含まれているのかもしれない。


彼女とはまたきっとどこかで会うのだろう。
すぐそばに彼女の空気をかんじながらそうおもう。



追伸:『クラウドアトラス』という映画を最近見た。
地味な映画だったが、ハリウッドがこんなものを作るとは、世の中も変わって来たもんだなあとおもう。

2013年11月16日土曜日

神が「お金あれ」といわれたら。。。



引き寄せの法則っちゅーのんがあるやんか。あれはお金持ちになるぞなるぞと言い続けたら、なれるっちゅーはなしのようだ(ものすごいざっくりやな)。

もしそんなもんがあるんなら、世の中の人はみーんなお金持ちになってハッピーエンド。しかーし、げんじつはそーならない。なんでや?あの法則はうそなんか?まゆつばなんか?

量子力学的にいえば、観察されるものは観察するものの影響を受ける。
これ以上分解できないほどのものすごーい小さな物質は、『粒子』でもあるし、『波』でもある。とゆーことは、それは物質でもあれば、非物質でもあるっちゅーことだ。で、それは観察されることによって物質として現れて来るとゆーことになっている。

「最初に言葉ありき」と聖書でもいう。
ほんでもって我が国は、「コトアゲせぬ国」という。
どーも言葉がポイントらしい。。。
非物質のものが、物質としてあらわれてくるには、言葉がいる。
量子は、見ることによって、物質として現れてくる。

神様が、
「光あれ」
といえば光が現れた。
夕暮れのうす暗い部屋の中、やまんばが、
「光あれ」
といっても、いっこうに光はあらわれない。
ふんむむむ~~~~~~っと力をふりしぼっても、いっこうに明るくなんない。ライトのスイッチをぽちっと押したほーが断然速い。

このちがいはなんなんだ!(わかっているくせに)

そのちがいをブンセキしてみるに(おまえは神様とタイトーなんか)、
それは意識じゃないかと。。。

つまりだな。やまんばは、言葉を単なる音の違いぐらいにしか考えてない。人に情報を伝える道具としか考えてない。言葉には、言霊がはいってるってゆーぐらいで、ほんとは言葉は単なるコミュニケーションの道具だけじゃないんじゃなかったんだろうか。

わしらは言葉をぞんざいに扱っている。
日本人はえてしてモノはだいじにする。ほら、モノには魂が宿るってゆーくらいで。
ところが言葉には魂がやどるとあまりおもってない。だからどんどん使う。へーきでつかう。「愛」とか「感謝」とか、あまり気持ちを込めないまま大量生産している。どっかで「これ言っときゃ無難にやり過ごせるしね」みたいな。

この現代人の言葉のあつかいが、昔の人とちがうんではないか?と、ふとどきにもブンセキしたわけだ。
よーするに気持ちが入ってないから、引き寄せられんのか?

ところが。
もう一方で、ポジティブじゃないほうの言葉もぞんざいにつかっている。
あたしはだめなのよ。とか、年いったから。とか。
まー、この言葉。みんながなにげに使う。無防備に使う。

これさー、ヤバイのよね。(いい意味?悪い意味?)

ウチの母親もよーく会話の節々に枕詞のよーに使う。
「もーあたし、年いったから○○なのよ~」
「けんど、年いったからそーなるのよ~」
「あんたもそのうち年いくとねえ、○○になるのよ~」

年いったから朝起きれん、年いったから早起きになる。
年いったから太る、年いったからやせる。

この言葉、ひじょーに便利だ。何にでも使える。
そしてどんないいわけにもなる。とくに自分より年下のヤツには一発で説得力を持つ。
それをいわれちゃ、グーの根も出ない。

これは相手を説得すると同時に、自分をも納得させられる。一番大きなBecauseになる。
ほんとゆーと、自分で自分に言い訳をしているのだが。自分に自分で言い聞かせているともいえる。

最近しわが出来たり、仕事がおぼつかなくなったりする。するとあせってくる。やばい。これじゃだめだ。なんとかして努力してしわも消し、仕事もこなそーとする。だけどうまくいかない。ああ、やっぱりだめなんだ。
やっぱりこれは年のせい。。。。?

おおっ!そうか!
これはきっと年のせいなんだ!
なるほどなるほど。
そーいや、近所のばばあもこんなかんじだ。おおっ、そのとなりのじじいもそんなかんじだ。そーだ!おれは、
「と、し、が、いったんだああああああっ!」
っと、大手を振ってそれに乗っかれるのだ。
(それに乗っかってるのはほかでもない)

じつはこっちのほうが、力学がはたらいているホーなのだ。
引き寄せられてるホーなのだ!
ががーん!!!!

引き寄せの法則はネガティブに引っ張られてる????



2013年11月15日金曜日

寒さに弱いソフト



寒いねえ。
やまんばははんてん着たり、ストーブつけたり、コタツつけたり、ホットカーペットつけたり。
高尾はさむいのよん。(ちっともやまんばじゃねえじゃん)

だけどこれがアナスタシアだったら、チュニックひとつでシベリアのタイガでぶ~らぶら。今頃、極寒の森の中で、息子と一緒にクマと戯れてるんだろうなあ。
ああ、アナスタシアのデータがあったら、
「データ入力、開始」
とかいっちゃって、ばばばばば~~~って、入力しちゃって、高尾の山をシミーズひとつで(古い)ぐおおおお~~~ん!ってつっぱしれるんだろーなー。

ほんでもって、マトリックスのネオのデータもいれちゃって、宇宙までグイーンと飛べちゃうし、世界中で起こっている戦争に出かけていって、玉という玉をお手てでばしばしって止めちゃえて、だれひとりも殺されずにすんじゃうんだけどなあ。

だけどそのデータもほんとは最初っから入力されてるデータなんだけど、それを使うとバグがでるとか、それは秘密の領域であるから触ってはいけないのだといわれて、よーするに、脅されて使えなくさせられてんのかもしれんしなあ。

まっ、生まれてから起動させる内容が、自分の親見てソフトを起動させ始めるからムリはないか。
すぐ近くにいる似たような生き物が空飛んでたり、裸でおどってたりしてたら、それはそーゆーもんだとおもって、その子もマネするわな。

だけどその親が、世間にぶつぶつ文句いってたり、飛べるわけないだろって思ってたり、ニンゲンはこんなに小さくて、限界だらけの生きもんだって信じてたら、やっぱそーゆーふうにおもうわな。

だから自然とからだもそんな形に変わる。飛べない形や、寒さに耐えられない形などに、ね。

とゆーことは、何を信じるかによって作られるわけだ。そのことはウチのかあちゃんの『勝手に背骨作っちゃったよ〜ん事件』で教えられる。
とゆーことは、アナスタシアデータもネオデータも、その気になりゃ、起動できるってことだ。

やまんばは寒さに弱いと信じている。


信じ方はいくらでも変えられる。それはコンピューターが教えてくれている。データを起動させればいいのだ。
だけどすでに寒さに弱いというソフトが立ち上がっているときに、寒さに強いソフトも立ち上げることは混乱をまねく。
いったん、寒さに弱いというソフトをゴミ箱にポイする必要がある。

さて、やまんばは寒さに弱いソフトを本気でボイできるか。


2013年11月14日木曜日

植物のだいじなあそこ



かんじんかなめってあるじゃない。
植物にもある。
なんつーのか名前はわからんけど、植物の生長するところっちゅーのんがあって、
それが、ここ!


はくさいでいえば、


ほうれん草でいえば、


ついでにカブは、


ちっちゃいとき、母親にほうれん草のおひたしの紫色のところをご飯の上に乗っけられて、
「ここ食べなさい。ここ!ここが一番栄養があるのよ!」
ってムリヤリ食わされた。
食ってみると苦~い。ムリヤリだったこともあって、トラウマになっていた。

どーも、ここ、いっちゃんだいじーなところのよーで、ここさえ残っていれば、あとからあとから新しい葉っぱが出始める。



去年もダイコンの葉っぱがいっぱい余ってたから、風呂でダイコン風呂やったんだ。
ダイコンの根元を切って、葉っぱを干し、からっからにして風呂に浮かべる。一日だけ使うのもったいないから、何日も使う。お風呂の水を抜いたあとは、風呂釜の縁においとくんだけど、葉っぱが枯れてまったくなくなっても、いつのまにかまた青々とした新しい葉っぱが出て来るんだ。根っこは何にもないんだよ。それなのに、いつまで~~~~も、葉っぱを出す。どんだけ生命力つえ~んだ?



去年はダイコンをサルに食われまくったが、あいつら、食ってるところがそこだけなんだ。あのかなめのところ。
葉っぱなんか見向きもしねえ。ダイコンの本体なんかちょろっと食うだけだ。
一番メインで食ってんのが、そこ!

どーもニンゲンはサルの食わねえ部分を食ってる。生命力溢れるだいじーなぶぶんは、捨ててんのかもしれんな。

なんかサルに、
「だからおれたちゃ元気なんだよ、ばーか」
っていわれてるみたいだ。

2013年11月13日水曜日

このびみょ〜で、はっきりとしたちがい



朝起きたら寒かった。
布団から出るのがいやだ。うんちょと起きてファンヒーターのぽっちを押す。
また布団にもぐる。部屋があったかくなるまでまっとお~っと。

5分ほどうとうとする。
もうあったまったかな?いやまだ寒い。もー少し布団にくるまっていよう。
1分経過。うだうだ。
2分経過。まだうだうだ。
3分経過。。。

ふいにがばっと起きる。
起きた。起きたと思ったら心がしゃべりはじめた。
やっぱりさむい。まだ布団の中にいようか。
上半身を起こしたまま、掛け布団をたたみはじめる。
ああいやだ。さむい。これからもっと寒くなる。今からこんなに寒がってどーする。
いや~な気持ちがどんどん溢れ出した。

あれ。。。
このびみょ~で、はっきりとした違いはなんだ?

うまくいえないが、細かくくぎって状況を説明してみよう。

目が覚める。
瞬間寒いと気がつく。とたんにイヤな気分になる。
だが意を決して、ストーブのポッチを押す。
布団に入る。思考が怒濤のように押し寄せてくる。イヤな気分を回避するために、いいわけをしこたま始める。まだ寒いから。風邪引くから。部屋が暖まるまで。思考が押し寄せる。イヤな気分は回避されるどころか、ますます感情はネガティブになる。。。

一瞬、思考が消えた。
とおもったら、がばっと上半身を起こしていた。

身体を起こしている自分に気がつき、またもや思考が押し寄せる。ああいやだ。寒い。まだ全然部屋あったまってないじゃん。。。。
ふとん。。。たたむの?まだ寝てていいじゃん。たたんだら起きなきゃいけないよ。。。

朝から怒濤の思考にびっくり。しかしその思考によって、感情が刺激され、それに身体が反応していた。
なんと思考の開始によって、身体が動かなくなるのだ。

しかし。

思考をとめている時、身体はすんなりと動き始める。寒いとかまるで意識していない。ちゃっちゃちゃっちゃと動いている。

なんじゃこりゃ?

思考していないと、感情が発令されていないから、身体はすんなり動いている。
しかしいったん思考を始めると、とたんに感情的になり、身体が動きたがらなくなるのだ。

ここまで思考と感情と身体はくっついているのかーっ!


考える前に身体動かせってのはこのことかあ?
でもこれは、なにかことを起こすためにいわれてる言葉じゃなかったっけ?
それがこーんな、たんに朝起きることでさえも応用できることだったんかいな。


え、みんな知ってたの?

え~~、はやくおしえてよお~~。

2013年11月11日月曜日

信じるものはスクワレル?




私が太るのは、食べるから太るのか。
それとも、食べれば太るとおもいこんでいるから太るのか。

ではいくら食べてもやせてて太らない人は、どーなるのか。
それは、「あたしはいくら食べても太らないのよ。。。」
と信じているからそーなるのか。

年がいくとしわが寄るのは、
年がいけば自然の摂理としてしわが寄るからなのか、
それとも、年がいけばしわが寄ると教えられたからか。
それとも、年がいった人を見ればみんなしわが寄っていて、それを見て
「なるほど年がいくとはしわが寄るものなのだ」
と、『確信した』から、それで自分のからだもそーなったのか。

では年がいってもしわがあまりない人はどーなるのだ。
それは年としわは関連しないと教えられたからか。
それとも、年ががいってもしわにならないと信じているからか。
それとも、まわりにしわのある人がいなかったからなのか。

あたまがこんがらがる。

すると科学はいう。
太るも、痩せるも、しわも、遺伝子のせいだ。
ああ、すべて、か、い、け、つ。
しかもなすすべなし。


信じたものはその通りになる。
信じるものは救われる。

みんなが信じたものを横並びに信じれば、みんなと同じよーになり、救われる。

みんなが信じるものを「はて?」とおもうと、
「それ、空気読んでないし」と言われて救われない。

それはいったい「誰に」救ってもらうのだ?

ときどきそれは信じ方によっては足をすくわれる。


絵:MF新書「偏差値37なのに就職率9割の大学」表紙イラスト
つまり学歴と人生のコースはまるで関係ないと言い切ってくれた革新的な本だ!
信じるものは救われるが、どう、信じるか、あなた次第ということだ。


2013年11月6日水曜日

「こぼれ種でいきましょ〜っ」てか?



ぐっと寒くなって来た。
秋の最後の種まき、スナップエンドウ、絹さや、小麦蒔きもメインは終わった。あとは、実験的に小麦をフェンス沿いに蒔こうと思う。なぜか小麦が生えて来るあたりは、草が勢いを失うのだ。特に南東の角と北西の角は山からのクズや竹やいばらやすすきの勢いがすごい。わらわらと自然が押し寄せて来るのだ。

「ここここ!ここん範囲がわしの陣地!」
ってうったえておかないと、
「おお?ここあいてるぜ」
と、山の勢力がずんずん入って来るのだ。

小麦は作るには作るが、じぇんじぇん粉に出来ない。ご近所で借りた石臼も、どうもうまく挽けない。
作っちゃあ挽けず、作っちゃあ挽けずがくりかえされて、玄麦溜め込むこと、かれこれ4年。一体いつ粉になるのやら。。しかも今年のヤツは、わしの保存が悪かったらしく、カビ臭い(最悪~)。
一気に全部まき散らすかあ~?

ふんでもって、小麦を収穫したあとのエダマメが順調だった。
なんか知らんが、豆科のあとよりも、小麦やトウモロコシといった、イネ科の野菜のあとがすこぶる調子がいい。なんでや?ウチの畑は、チッ素過多なんだろうか?(やはり牛糞がまだ残っているのだろうか)
ともかく小麦は山ほど余っているので、実験してみようと思う。


それから去年ラフレシアになった白菜の交配したヤツが、また威力を見せ始めた。
おかしなことに、わざわざ種とってキレイに蒔いたところよりも、育ったところでこぼれ落ちたヤツの方が、迫力がある。やまんばが他の畝で蒔いた時期より遅かったくせに、一度芽をだすと成長のスピードがちがった。今はやまんばが蒔いたヤツの3倍はある。

つまり、実生は自分がいつ芽を出すのか心得ているのか?
「あん?。。。。今だ!」
とばかりに、ぼぼぼっと芽をだしたかと思うと、一気にスピードアップするのだ。

しかも最初っから、ムラムラに出始める。人が種まきすると、一カ所にたくさん芽をだすが、実生はポチポチと所々から芽を出す。しかしそれゆえ、間引きがいらない。将来の自分の大きさを知った上で、間合いを取っているかにさえ見える。なんというしたたかさ!

こっ、、、これは連作障害はないことを意味している。
それはまるで、
「連作しまくりましょう~、勝手にこぼれ落ちるままにして、種取りやめましょう~っ」
てなメッセージかあ?

福岡のじっちゃんはこれをやっていたのか。。。?

2013年11月5日火曜日

そのまんま自分




外にあるものは、自分の心の中の現れ。
気に入らない外を変えようとするのは、鏡に映った自分の姿が気に入らないので、鏡の中を変えようとするのと同じことをしている。
鏡に映ったものを変えたいなら、映ってる自分を変えるのだ。

気に入らない頑固なオヤジは自分自身だ。
変えても変えなくてもどっちでも良い。ただそれは自分なのだと解っていることなのだ。そのオヤジのどこがどういう風に頑固なのか探ってみる。すると細かいデテールが見えてくる。それがそっくりそのままあなたの姿だ。

誰かにいたいとこつかれるとむかっとくる。それはどっかで「あたってる」とドキンとするからじゃないか?
すぐ近くにむかっと来る人がいる。それはほれ、そのまんま、あんただよって現してくれてるから、むかっとくるんじゃないか?

そうなると、「あっ、それをやめなきゃいけない!」とおもう。
いけないと思うことを排除しようとするのは、わしらの悪い癖だ。

頑固なオヤジも排除しなきゃいけないと思うし、
頑固なオヤジの自分の部分も排除しなきゃいけないとおもう。
ここがわしらがよけいな労力を使っているポ、イ、ン、ト。

どっちでもいい。
自分の頑固さを変えようとしてもいいし、変えずにそのまんまタンスの上に飾っておくでもいい。

ただ、気がついていることだ。
ああ、ここ、頑固だ。
今、頑固な気分になってる。
ゆずれなくなっている自分がいる。

と、自分の反応につねに気がついていることだ。
ダメだしはいらない。

目の前に展開している世界は、そっくりそのまんま自分の中のあらわれだと、いつも淡々と気がついていることだ。


そしてそれは、いつでもどのようにでも世界は変えられるってことにむすびついている。



自分の居場所って、別に大きくなくてもいいとおもわない?むしろほんのちょこっとした片隅に、ほっこりするところってなあい?そういう場所っていいよってアイディアをくれる本です。



2013年11月3日日曜日

頭ん中まるみえ



心の中が外に現れている。

そーゆー言葉は時々耳にはするが、たしかにそうなんだろうなとは頭ではおもうんだけど、でも道で頭のおかしな人とすれちがったり、いけずな人がいたり、頑固な人がいたり、暗ーい人がいたりして、そーゆーのをみるたび、
「あたしはこんなやなやつじゃないだろう!」
って、カチンときて、冒頭の言葉を否定する。

だけどねえ。
よーく見てたら、この今私の目に見えている人々は割合として、いいひと○%、やな感じの人○%、へんな人○%、てなぐあいなもんで、ひょっとして頭の中にいる多重人格な自分も似たよーな割合であるんじゃないかなあ~?って、おもったのだ。

いい人って、あんまりにもナチュラルでする~っと過ぎ去ってしまうから気がつかないけど、人数的にはけっこういる。けど、へんな人や、やな感じの人は、する~っとは過ぎ去らないで、ドッドーーーン!と存在するから、へんな人100%!!な気分になるけど、実際の割合は1割ぐらいだったりするじゃん。

そーゆー目で見ていくと、そーいや、自分の頑固さはあのぐらいの割合でいるし、暗ーい部分は、そうそう、あの程度。それからへんな人の割合は、、、、もちょっといるかな?なんて、レイセーにブンセキしちゃったりする。

すると人だけじゃなくて風景にまでおよんで、山7割、家2割、畑1割!あたしの頭ん中は、「そうそうこんなかんじ!」ってなってくる。

頭ん中がそっくりそのまま現れているとするなら、それを見る事が、自分の中をしらべる事になるんじゃないか?
あのオヤジの頑固さは、あたしの頑固さがどの程度かを教えてくれていて、あの子の暗さは、あたしの暗い部分の深さを教えてくれている。割合も、頭の中を占めているネガティブな部分もポジティブな部分の量も教えてくれている。
あのおばさんのやなかんじは、同じよーな事をやっているから気がつくのかもしれん。
「やあねえ、あんなことやってる。はた迷惑だよねえ。。。。」
「えっ!?これって、あたしもやってるの!?」
となるわけだ。

自分の頭ん中、まるみえ。ま~るみえ。
あほがみ~る~ぶたのけ~つ~。

でもよーかんがえたら、自分にしか見えてないわけだ。でしょ?はずかしーのは、自分だけなんだ。自分で自分に恥ずかしがってどーする!

だからこーゆー調査は「ひそかに」やるのだ。
ひそかにブンセキするのだ。だって誰にもバレてないわけさ。自分の頭ん中。自分にしか見えない世界(あなたの知らない世界~)。

その分析は、自分の内面を客観視することになる。内面ってみえない。それとおなじように自分の姿って直接見えない。鏡がいる。それとおなじようにこの世は映っているわけだ。
神様は、こーゆー方法で、自分の内面を確認させてくれてんだあ。
粋なことするねえ~。


絵:MF新書『うんちく書店』表紙イラスト

また出た!雲竹雄三が今度は本屋さんに出現!ありとあらゆるうんちくを爆裂させます。書店オタクのみなさま、お見逃しなく!

雲竹さんの頭ん中は、さぞかしすげーんだろーなあ。