ワンネスと言葉で言うことは簡単だが、
実際ワンネスを生きることはそうとう難しい。
なんしか「私とあなたは同じ」と言うことだからだ。
誰かのことを嫌っている段階ですでにそこには分離がある。
「私はあなたとちがいますっ!」
って言ってるのだから。
蚊が自分の血を吸っているのを見て、ばちんとやるもの分離だ。
蚊が自分の血を吸うことを攻撃的なことされてると思うってことは、
「私の血を、私と違うあなたが持っていかないで!」
と言ってるからだ。
もしひとつと思うなら、血がこっちからあっちへ持っていかれるなど思わないだろう。
(てか、痒いのが嫌なだけかw)
だから蚊が血を吸っても、
ばちんとやらないというアホな実験をしている。
そーやってワンネスを生きてみようとしている(-_-;)。
分離はない。
それを生きることは、兄弟と私は同じ。何一つ違わない。
そう思って生きることだ。
ワンネスを装って生きるよりもむずい。
だけど実験するに値する。(なんでも実験)
友達と私を、何一つ違わないと思いながらあってみる。
目の前にいる友人が、完全無欠。パーフェクトな存在としてみる。
すると、楽しいではないか(笑)。
彼女と私の違う意見があってもそれが気にならない。
だって彼女は完全無欠なんだもん。
この水平の世界に完全に正しいものなどありゃしない。
欠けてないと思えるものなんかない。
完全無欠は垂直な流れにある。
そこに触れることは、言葉などなんの意味も持たない。
言葉によって引き起こされる形もない。
それまでは違いを探してた。
どう違うか、何が間違っているか。
これこそが自我のお誘いだった。
あなたと私はどう違う?と。
ほれ、分離しまくってる。
分離していると信じることは、
相手が何考えているかわからないということ。
それ自体が恐れを生む。
恐れを生むということは防衛が始まる。
防衛と攻撃は同じコインの裏表。
防衛すれば攻撃を呼び込む。
表面上でニコニコしていても、
水面下で無言のバトルが繰り広げられる。
家に帰り着けばだだ疲れ。
心はずっとあいつはどういったこういったと再現フィルムが繰り広げられる。
攻撃すれば自分の心が罪の意識でチクリとする。
攻撃は自分も相手も痛めつける。
(もともと私たちはワンネスだから、
相手に攻撃を加えると私も攻撃されるし、
相手に愛を送ると私も愛される。)
その罪の意識がもやもやするから、
なんとかして自分を正当化しようと躍起になるのだ。
その自分正当化へのドラマが、心の中で疲れ果てるまで繰り返される。
違いを見つけようとする分離の意識から、
みんな同じだというひとつへの移行。
これは同じ水平上にある、同じコインの裏表ではない。
真実への垂直な移行だ。
やっぱ、蚊に刺されとくもんだなあ~。
絵:ペーパーバックの表紙