出来事に動揺するとき、それが考えを変えるチャンスだ。
うわーやっちまった!
と、オロオロする。
その反応は、自分が何を信じているかを教える。
この出来事に対して、「やっぱお前はバカだ」と囁くのは自我。
この出来事を使って、「あなたの信念を訂正していこう」と提案するのは聖霊。
バカだとバッサリ言われたら、ああ、二度とこんなことしないようにしよう~と恐れるだけだけど、その本当の理由を自覚しないのでまた同じことを繰り返す。
しかし聖霊の視点は、そこにどんな信念があなたにあるかを自覚させようとする。
例えば、お金の計算を間違ってはいけないという信念がある。
「当たり前だ。間違ってはいけないだろう。」by自我
お金が多い方がいいという信念がある。
「当たり前だ。少ないよりも多い方がいいだろう。」by自我
ポイントは、その信念があるがゆえに苦しむのだということを自覚すること。
間違ってはいけないという思いや
お金が減ったという思いがあるからこそ、苦しむのだ。
じゃあ、間違わないようにしよう、お金は減らさないようにしようと躍起になる。
これがこの世界の、つまり水平の考え方。
水平の世界には、それを幸せに変える力はない。
いつまでたってもお金が減りはしないだろうか、
何か間違ってはいないだろうかと悩み続ける。
その水平の世界から垂直の世界に心を向ける。
それはお金という概念も、1➕1=2という概念も、間違っているという概念もない。
概念は、この世界に縛り付ける鎖だ。足首にくっついた重りだ。
その自分が信じた概念が、自分を苦しめていることに気がつくと手放したくなる。
だが自分でそれを手放すことはできない。
水平の世界を信じきっている、概念でがんじがらめの私たちにはできない。
私たちではない、その概念を全く信じていない聖霊に訂正してもらう。
それが垂直な流れだ。
手放したいと思う意欲を伝える。
その信念を持って行ってくださいと聖霊に捧げる。
その時扉が開き、押入れの奥に隠されていた信念に光が当たる。
闇は光によって消え、それが取り消された時、
お金が多い少ない、計算が間違っている、等々の考えが力を失い始める。
メタモルフォーゼが始まる。
それを解決することが私たちを幸せにするものではなかったという、
これまでとは違った視点が生まれてくるのだ。
重くのしかかった問題が徐々に軽くなり、この世界の本性がかいま見えてくる。
これは本当に存在していることなのか?という疑問が湧いてくる。
そしてこの世界は自分が作っているのかもしれない。。。
という量子力学的な考えが浮かんでくる。
そしてなぜそれを作らざるを得ないのかというと、
自分を罪人だと信じている思いからきている。
その思いがこの世界を作り上げ、
その中で自分を罰することに終始してるだけなんじゃないのか?と。
つまり私はこの世界に翻弄される被害者ではなく、
そういう風に見たがっている私がいるだけじゃないか。。。?
自作自演がバレ始める(笑)
絵:「松下幸之助」似顔絵
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