「鍵がない。。。」
駅に向かう途中で家の鍵がないのに気がついた。
ポケットにもカバンの中にもない。どこで落としたんだろう。。それとも鍵はドアに刺さったまま?
家の中に泥棒が入ったイメージが浮かぶ。ゾッとする。
引き返そうか。でも駅はすぐそこ。。。
普通ならパニクってしまう自分がいるのに、心は不思議に静かだった。
起こる出来事は私に何か教えてくれようとしている。これはどういう意味だろう。。。?
聖霊さん、これはどういう意味。。。?一緒にみてください。。。
。。。
相変わらず、答えなど聞こえない。
だけどだんだん「泥棒に入られてもいいじゃないか。。」などと、のんきなことまで考え出した。
この静かな心を信じて、とりあえず出かけよう。
そう思って、駅に向かって歩き出した。
歩き出して1分。ふいにイメージが湧いた。
「あ。あの時だ。。。」
車で駅に向かう途中、ご近所さんを拾った。
「駅から遠いから、助かるわ~」
車内に入ってきた彼女に、マスクをしていなかった私は慌ててポケットからマスクを手繰った。その時マスクの紐と鍵が絡んで、右往左往したのだ。
「きっと鍵は車の中にある」
そう確信した私は、電車に乗った。
私はこれまでずっと自分を攻撃してきた。
自分の至らなさ、落ち度、罪、自分がした行為ならなんでもそれを罪に仕立てた。
そして自分を責め続ける。私は歩く罪悪感人間だった。
だから鍵をなくしたとおもえば、最悪の事態まで想定し、とことんまで自分を責め続けるはずだった。
それが今回は、頭では責め立てようとしているのに、それを受け取る心が反応しない。
頭/自我が言葉をまくし立てて大騒ぎするのに、心がそれに乗ってこない。
静かな心の方が圧倒的に優っていた。
自我は責める。大騒ぎをして「お前は罪人だ!」という。
聖霊はただ包み込む。そして微かな声で「あなたを愛してるよ」という。
私がずっと自分を攻撃してきたのは、自我の声しか知らなかったからだ。
自我は実在しない。
私は実在しないものの声に振り回されていただけだった。
自我の声は、私の声ではない。
そう気がつき、その大騒ぎする声から徐々に距離を置き始めた。そのうちもう一つの存在に気付き始めた。
それは最初からあった。それはもともとの私だった。それを光ともいう。
目の前にある全ての形は、自我とともに作り上げた世界。神はこの世界など作ってはいない。
神がいない矛盾だらけのこの世界の中で、本当に幸せになることはできない。
自我は罪だけを見る。
だからこの世界は罪でできている。
罪で作り上げられた世界は闇。この闇でいくら奮闘しようとも、闇は闇では消せない。
しかしその闇に光が入れば一瞬で闇は闇でなくなるのだ。
聖霊は元々いた場所に私をいざなう。
ずっと自我とともにいたけれど、それは単なる錯覚でしかなかったよと、優しく教えてくれる。
用事をすませて車に戻った。
椅子の隙間にひっかかった鍵が、お日様に当たって光っていた。