心の中を正直にみる。
自分に嘘をつかない。
自分の中にある感情や思いを、自分で隠してしまわず見る。
ただそれだけでよかったんだ。
なんてシンプルだったんだ。
私たちは、自分の中に湧いてくる思いにそっとフタをする。
私は怒っていない。
私はイラっとしていない。
私はチッとか思っていない。
ぜーんぜん大丈夫~。
そうやってみるか、もしくは苛立たせた相手を恨む。
あのやろう。
このやろう。
どーしてやろうか。
いつかギャフンと言わせてやる。
そうやって心の中で一人妄想を繰り広げる。
私たちは、この世界で生きているのだから、
この世界で行動して、なんとかしなきゃと思っている。
だからこの世界を必死で観る。
でも不幸なのは、心が不幸と感じているのだ。
苛立たせる相手がいるのではなく、
苛立ちたい私がいる。
恐れる状況があるのではなく、
恐れたい私がいた。
恐れは外にあるのではなく、
恐れは私の中にあった。
隠したいのは、私自身だったのだ。
私自身から、私の恐れを隠したい。
ところが、それをやり続けても、
それが終わらないことに気づく。
そして私はやり始めた。
自分の心を正直にみる。
恐れがあるなら、それを観る。
それを認める。
それを受け入れる。
今、私は怖がっています。
お金が減ることを怖がっています。
それを隠しません。
はい。正直に認めます。
今、私は怒っています。
それを隠しません。
はい。正直に言います。
あいつにめっちゃ腹たっていますっ!
今、私は人の顔色見てる。
相手にどう思われるか心配している。
その思いを正直に認めます。
そうやって自分自身から出てくる思いを正直にみる。
その恐れを体で感じて、受け止める。
目の前に出して、それを聖霊に渡す。
その行為は、
心の中にある私の「恐れの信念」を浮上させ、
聖霊に消してもらうためにあった。
悪夢もそうだ。
どうしてこんな酷い夢を見るのだろう?
そう考えても答えは出ない。
心の中にある残酷な思いが浮上してきているだけなのだ。
それを渡していこう。
そうやって本当に自分の思いに正直になっていく。
その思いを受け止める。
ただそれだけで、心は静かになる。
この時、何かが開く。
何かがすっと入ってくるスペースが空くのだ。
だから目の前の状況が何一つ変わらなくても、
心が変わっていく。
将来が不安です!
そんな想いも差し出す。
その不安を見つけてどうにかしようと行動しても、
恐れが動機になっている限り、道はひらけない。
道が開くのは、喜びからくる。
なんでか知らんが「やりたい!」と思ったことから道は開いていく。
それがその人の、その人だけのオリジナルな道なのだ。
それが一番輝く。
本当はそれをやるために、ここに生まれてきたのだ。
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