確定申告の時期がやって来た。
毎年この時期になると、心が重ーくなる。
「ああ、あれ、やんなきゃ。。。えーと、今日は何日だ?あ、まだ2月8日だ。まだまだダイジョーブ」
「あー、だんだんせまってくる。。。そろそろやんなきゃ。。。」
「うっ。。。やばいやばい。いかんいかん。もうやらんとやばいぞ。。。!」
とか言って、どんどん先延ばしにし、ギリギリになって、必死こいてやる。いつもこのパターン。
しかし。
今回はなんだかちがうぞ。
いつものように領収書を整理しはじめた。
これは消耗品費、これは交通費、これは、、、とやっていく心の中に恐怖がない。
今までは心は常に
「あー、こんなところにこんなに使ってしまった。。。」
「あー、こんなに使ってるのにこんなに収入が少ない。。。。」
使ってしまった恐怖と、
入ってくるのが少ない恐怖。
この二つが行ったり来たりして、心が乱れまくっていた。
だが実際は、
そこに領収書があり、出版社からの源泉票があるだけ。
支出と収入の数字があるだけなのだ。
なのに、心はそれを見て乱れまくる。
それは、わたしの頭の中に、
「お金を使うことは悪いこと」と、
「お金は多ければ多いほどよろしい。少ないことは悪いこと」
という観念があったからだ。
わたしはこのあいだまで、スーパーでお金を使ったあと、罪悪感におそわれていた。
「ああ、どうしよう。こんなに使ってしまった。。」
その言葉のあとに、「いやいや、これは買わねばいけないものなのだ。なぜなら。。。」と、たくさんの言い訳が続いた。
こういう言葉が、自分の動揺する感情を見ないため、言い訳の言葉で埋め尽くしていることに気がついた。自分の心を納得させようとしていたのだ。だがそれは虚しい努力でしかなかった。
「お金」とは、実に人を呪縛するものだ。「お金」と聞くと、人は無意識の中に入り込む。なぜなら、この世のほとんどのものは「お金」で解決するから。だからあえて入信したわけでもないのにいつのまにか「お金教」の信者になっている(笑)。
入信した自覚がないあまり、お金さえあればしあわせになれると思い、そのお金が及ぼす心への影響については考えない。わたしもそのひとりだった。
わたしは自分がお金に対して無意識であることに気がつきはじめた。
そこでお金を使ったあと、いつもの罪悪感がやってくるのを受け入れた。
ただ心に罪悪感が渦巻くのをそのままにした。心で言い訳もしなかった。
「ああ、今罪の意識を感じて、心がざわざわしているなあ~。。。」
で、終わりにする。
それは今までとまるでちがう感覚だった。
罪悪感の苦しさは、ものの2分もしないうちに消えていく。心が言い訳をしていたころは、10分、20分、苦しさは続いていた。
そうしていくうちに、買っても心が動かないようになっていった。動かない心の自分に驚く。
おもわぬ別の効果も生まれた。
必要以上に買いまくらなくなっているのだ。前は、買っちゃいけない!と思えば思うほど、なぜかいろんなものを買いあさっていたのだ。。。。
たぶん、そんないきさつもあるのだろうな。
今こうやって確定申告のために作業をする自分が、前とはちがう心もちでやれるのは。
ただ淡々と、静かにすすんでいく。
太陽の光がうちの中に差し込んだ。
ここは目の前が山にさえぎられて、冬のあいだは日が射さない。
太陽がじょじょに上がって来たようだ。
ウチに春が入って来た。
絵:「金太郎、、じゃなくて、ゴールデンエンジェルw」/お金の特集のカットイラスト