最近、白班の症状をだした化粧品メーカーさんが問題になってる。被害にあわれた方はほんとうにお気の毒だ。
やまんばは石けんなし生活をはじめてから、こーゆー人工的なものから何かしらの問題が出て来るだろうなとフンでいた。そのうちそのメーカーさんからだけじゃなくて、他のメーカーさんからもでてくるんじゃないかとおもう。
わしは、とっくの昔に化粧をやめちゃったんだけど、もともと乙女の時代に化粧水やクリームでお肌が負けまくってたことから「何で?」という疑問を持ったところから来てる。もっとさかのぼれば、小学校の時から食器を洗うのに使っていた洗剤で手がひどく荒れて、いつも泣いてた皮膚病からだ。
全ては人工的なものにヤラレている。
だから「野人さん」の「ニンゲン、何もなくっても生きられる!」という、たのもしーお言葉に勇気をもらったのだ。
くすりもそうだけど、およそ人工的なものは、一時的な急務な補いに、
「ああ、もう、しんどくってダメ。。。」
っていうようなときにだけに限るべきであって、それを延々と使い続ける必要なんてない。
あなたのからだは、そのままで全てそろっているのだ。
内側からどんどんあふれ出てくる汗や、自分の知らないところでバランスを調節してくれているところの細胞の動きなんて天才としかいいようがないじゃないか!
その一番身近な大自然の美に感動するべきなのだ。
「おおおっ、すごいっ!」って。
外から補ってもらうものには限りがある。それはニンゲンの浅はかな智慧で、その場しのぎにいじくっているだけだ。だから時間とともに矛盾が生じてきて、「あ~あ」となる。
しかしもとはといえば、
「女性は色白でないといけない」とか
「お肌はマイナス五歳肌」とか、
いろんな入れ知恵によって、ふりまわされているだけなのだ。
はて。お肌は色白でないといけないのかい?
黒人女性の美しさはどうだ?わしなんか、日焼けで真っ黒な女性を美しい!って思っちゃう部類だ。
お肌は、プラス5歳肌じゃいけないのかい?
女の人は、他人の目を気にする。若く見られたいとか、キレイに見られたいとか。やまんばはこーみえても、60代に間違えられる。ときどきダンナの母親に間違えられる。
ちょっと自慢だったりする(笑)。
男は老けてみられることを気にしない。(最近の若ぞーはするか)だから肌のことは気にしていない。それだからか、美しく見える。野良仕事で焼けこけて昼間っから酒飲んで笑っているオヤジどもが美しく見える。彼らは自分が若く見られることに意識がない。
だけど、おばさんたちは、ちとちがう。
顔にあがきが見える。どう見られているのか、自分の肌はマイナス5歳肌になっているかいつも気にしている。バッチリお化粧をしているが、見てて気の毒になってくる。
本人が気にしていると、まわりもそれに気がつく。だからよけいに気になるという連鎖が起こる。
だからよけいにあせって毎晩お肌のマッサージをする。するとひっぱったりのばしたりしているうちに皮膚がたるんでくるという悪循環を生むんではなかろうか。(いやいや、引っ張ったりのばしたりしてるとお肌に張りが出るのだ。そうらしい。きっとそうだ。そう宣伝してるのを聞いたことがある。)
ちなみにやまんばの知り合いの60代の女性二人はいっさい化粧っけがない。二人とも敏感肌だからといって、なにもつけていないのだという。なのに皮膚がまったくたるんでない。
おかしいではないか。
お肌のお手入れは、日々の努力からくるもんではないのか?コマーシャルではそのように言うぞ。
美はそんな表面にはない。内側から溢れてくるもんだ。
肌がいくら綺麗だって、心が沈んでたら美しく見えない。人は不思議に別のものをその人から感じている。目に見えるものじゃない、その人からかもし出される雰囲気みたいなもの。空気感みたいなもの。
やまんばにとって石けんなし生活は、自分のカラダに「おおっ、すげえ!」って、感動させてくれる第一歩だった。
それが自分のカラダを楽しむきっかけになった。
この世は自分を否定することが蔓延している。
「あたしのここがダメ。ああ、これもきらい」
そういって自分自身の肉体をきらう。
そこにさささっと、
「あなた!ここ、だめでしょう。ああ、そんなやりかたしてたらもっとひどくなる。ほら、あたしをみて。こーんなにきれいでしょ。それはねえ〜。この○○を使えば、こ〜んなにキレイになっちゃうんだから!」
と映像で見せられれば、
「やる、やる!それ、やる!」
って飛びついちゃうわな。
お友達や他人ににいくら「オッケー、オッケー!」って言われても、結局は納得いかないでしょ。
自分のカラダは、自分でオッケーする。
あなたはそのままで美しい。