雨がふっている。
かなりな雨だ。台風が来る。いったいこれからどれくらいふるだろう。
やまんばは水が恐い。
それは台風県高知育ちだからか。
ウチの庭のすぐ下は川になっている。引っ越してきてからと言うもの、大雨が降るたびにこれが氾濫しないかとビビりまくっていた。今のところ氾濫した経験はない。だけどここんところの世界の気象の激しさを考えると、今回はどうなるかわからない。
最近、よく自分の恐怖を見る。
先日の友だちの死は、自分が持っているいろんな怖れをあぶり出してくれた。病気のこと、将来のこと、身内のこと、そして自分自身のいろんなおもいへの葛藤。彼女が抱えていた葛藤は決して彼女だけのものではなく、私たちが誰でも持ちうる葛藤だった。
恐怖は、逃げれば逃げるほど大きくなって迫ってくる。拒絶は、拒絶すればするほど大きくなって迫ってくる。これは過去に何度もやったし、いまでも大きなことから小さなことまで、何でもやっている。だけど逃げてもいっこうに解決はしない。
だから見つめることにした。
自分がどれだけ恐怖を抱えているかを。
大雨がふる。
その音と振動を感じながら、その身体の胸の奥に感じている恐怖をみつめる。
頭の中に走馬灯のように繰り広げられる水に関する恐怖の思い出をみつめながら。
逃げない。
あのときはああだったから逃げたんだ、などと、いいわけをしない。
ただ怖れをいだく自分を、ただ何の判断も、いいとか悪いとか、非難もせずに、ただ感じる。
ただ、じっと感じ続ける。
心が静かになっている。恐怖は膨らんでいかない。過去を振り返って未来を案ずる思考が消えている。
親の問題や、将来の心配や、人生の葛藤が、その時消えている。
全神経を研ぎすませて、大自然の中に、ただ今にある自分がいる。
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