ラベル 過去 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 過去 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年12月12日水曜日

押し入れに注ぎ込むエネルギー(いらんやろー)


寒いです。けさの外気温は-3℃でした。
これもきっと地球温暖化のせいなのでしょう。
二酸化炭素25%削減って世界に断言していたおじさんは、とっとと引退してしまいました。まだ順調に25%削減に向けてがんばっておられるのでしょうか。
10年後に原発をなくすと断言されると、ちゃんと10年後になくなるんでしょうか。その10年後に総理になった人が「そんなもんはしらん」といったら、なかったことになるんでしょうか。
やまんばにはちいーっともわかりません。

マイブームのダンシャリは細々と進んでおります。
先日仕事関係の道具を処分した。そう、紙です!
知人に作ってもらった紙入れ(りっぱな桜の木でできた大きな紙入れ)の中身はすっからかんに!さすがにもう手に入らないチベットの紙は保存した。おもいが満載のスケッチブック、過去にあった多くの人々の名刺。。。全て自分を形作ってきた品々。全てポイだ!。。。。っとおもったけど、そこんところはちゃんと選択。んで、一番の執着のアイディアブックはドッカンと残った。(ダンシャリじゃないじゃん)

やっている間に気がついた。押し入れに詰め込んでいるものに、私はエネルギーを注ぎ込んでいたのだな。まるで倒れてくるゴミの山を両手で押さえて倒れないようにしているかのように。

どこかで「これを清算してしまいたい」欲求と、「いやいやもったいないのだ」という罪悪感がひしめきあって、どっちにもエネルギーを注ぎ込んでいたのだ。押し入れの中がすっきりすると、その使っていたエネルギーを使わなくなる。エネルギーが自分に帰ってくる。

押し入れをあけるたびに「ああ汚い」というおもいがつねによぎり、
「いつかきれいにしなきゃ。今?いや今は忙しくってダメだ。いつかもっと余裕のある時に」
とかなんとか自分に言い訳をしている。
それは、ほとんど無意識に押し入れをあけるたびに、紙入れの引き出しをあけるたびに、冷蔵庫を開けるたびに「ああ、汚い」というため息に似たものと一緒にやってくる。「気にしている」わけだ。気にしている。つまりあけるたびにエネルギーを使ってるのだ。イヤイヤどこかで視線の先に押し入れがちらっとでも入ったりしたりしても無意識にそこにエネルギーを注ぎ込んでいるのだ。

じゃこれが、押し入れをあけるたびに、冷蔵庫を開けるたびに、きれいだったらどうだろうか。「ああ、きれい」と思うのは最初の時だけ。その後はきれいなのがあたりまえになって、何も考えないだろう。気にもしていない。
それがエネルギーをそれに注ぎ込むことがなくなるときだ。

ダンシャリは過去との決別、そして未来への不安との決別へといざなう。つまるところ、物質的に捨てているうちに、自分の習慣のクセに気がつき、それとも決別をしているような気がする。

2012年12月7日金曜日

溜め込んだ過去は押し入れの中で芽を出すのか



ダンシャリで考える。
やまんばは過去のものをいっぱい持っている。過去よく着ていた服とか、過去よく使っていた食器とか、過去よく読んだ本とか。だが今のやまんばは、もうその服は着なかったり、その食器は使わなかったり、その本はもう読まなかったりする。
ダンシャリの著者さんはいう。
この歴史はじまって以来、人類がこれほど個人がモノを持った時代はあっただろうかと。なるほど。お江戸のお殿さんでさえ持っていなかったものをわしら現代人は持っている(金銀財宝は別にして)。で、一般庶民は着た切りすずめだった。

その長い歴史のモノへのあこがれが(執着心といおうか)、まさに満たされた時代が今なんではなかろうか。大昔はそもそもモノがないので、備蓄という事ができなかった。あるときにはここぞとばかりためこむことが、生死を左右する大事な行為であった。その記憶がやまんばにはあるようだ。ためこんでためこんでためこんで、押し入れの中に詰め込めるだけ詰め込んでぴしゃりとふすまを閉め、その前でお茶を飲んでほっこりしている。でもよく考えたらこれは便秘ではないのか?

ダンシャリアンは言う。モノは循環させないとヘドロになる。
リスは自分でとってきたドングリを土の中に隠す。だが隠した本人がどこだったか忘れる。やがて土に埋もれたドングリは芽を出す。そうやって自然界は循環をしている。
やまんばが溜め込んだドングリは、押し入れの中でやがて芽を出すのだろうか。男おいどんのサルマタケのように。
で。。。出ない。出ても食いたくない。

そうなのだ。やまんばが溜め込んだ過去のモノは決して自然循環しないのだ。畑は自然循環している。やまんばのからだも自然循環している(ありがたいことに)。だがやまんばの過去は自然循環しないのだ!こりゃー自分でやらんといかんのだ。

少なくとも日本人は過去にこーんなに物持ちになった経験がない。だから今までの方法論のままに、「あった時に溜め込む」という手法を使う。一度オイルショックを味わった人ならなおさらのこと。それが今飽和状態になっているんではなかろうか。今わしらが学ぶのは、捨てる方法論ではなかろうか。捨てると書くと「もったいないお化け」に襲われそーだが、じゃあ、循環させるっちゅーのんはどうだ?

ダンシャリアンはいう。
川の下流にながすと。
一見「何だ。上から目線じゃん」っておもってしまうが、これは自然の摂理だ。雨は上から降ってきて、山に落ちる。山から土の中を通って川に行く。川から海に流れてやがてその水は雲に変わって、また山に雨を落とすのだ。

江戸っ子は「宵越しの金は持たねえ」というが、あれはいきがっていると思われているけれど、どうもまた別の考えがあるようだ。お金は一所に留まらさせてはいけないという考えがあったようだ。今はものすごい量のお金があるので、どこぞの誰かがしこたま貯め込んでも体勢に影響はない。しかしもしこれが、ある村に10万円しかなかったとしよう。するとそのお金は誰かが溜め込むと、他の誰かが困るのだ。だから「宵越しの金は持たねえ」。さっさと次の人に流していくのだ。


さっきやまんばの本が出て行った。
過去に思い入れをした本ばかりだ。じつはいわゆる循環、つまり図書館への寄付や古本屋に渡すという事をしなかった。どう循環させるか迷いに迷った。彼らをモノとしてあつかいたくなかった。
彼らはやまんばの心の図書館に寄贈された。


絵:「10分あれば書店に行きなさい」MF新書表紙イラスト
まさに、本屋さんは宝の山!
思い出すなあ、高知の大橋通り近くの大好きな本屋さん。地下一階にあって、天井高く本がぎっしり。床も壁もぜんぶ木で作られて、オイルステンのにおいがあたりをみたして、歩くとギシギシ音がするあの本屋さん。。。今はもう昔のものがたり。。。