年明けから展覧会、絵本の制作、アメリカの仕事と立て続けに忙しかったのが、ポンと空いた。
久々に自身の作品を作る。
最近はパソコンではなく、触感を味わえる和紙で。
そして今までとは違う感覚でやろうとしている。
それは恐れないこと。
仕事柄、私の視点がクライアントの目線と重ならない限り、仕事は成り立たない。
だからと言って、実際クライアント目線でできていたのかは定かではない(苦笑)。
それでも37年、常に誰かの目線で絵を作ろうとしてきたので、もうその目線が染み付いてしまった。
自動反応のように、
これはどう見えるか。
バランスが整っているか。
ちゃんと理解してもらえるだろうか。
クライアントが気にいるように、、、。
どこまでいっても誰かの目線なのだ。
自分の喜びからのものではなく、一瞬一瞬、自分の行為を否定し、裁き続けている視点なのだった。
苦しかった。
自分のことは全否定。
誰かわからないものに合わせる視点。。。
一体誰の視点なのだ!?
私たちの中に監視人がいる。
仕事上では、クライアントのためにという名目で。
生活上では、人様に迷惑をかけない、
ちゃんとした人にならなければいけないという名目で。
私たちは追い立てられている。
何かにつねに追い立てられている。
そのもとは、心の中にある。
心の中に浮かんでくる恐れ。
だがそれをよくよく見ていると、根拠がない。
根拠がないものに追い立てられ、恐れ続ける。
根拠?あるよ。
あれでしょ?これでしょ?
いっぱい出てくる。
そのいっぱいある根拠のせいで、ずっとやりくりしてきた。
だけどずっと苦しかった。
そりゃそうだ。
それは自分の否定だったからだ。
自分がここにいてはいけない、自分が自分をなきものにしようとしてきた。
それが心に浮かぶ言葉だった。
だから私は恐れを促す言葉をもう聞かない。
そっちではなく、愛を選ぶ。
和紙を選ぶ。
好きなように。
和紙を切る。
思い浮かぶ形に。
好きなところに置く。
置きたいと思うところへ。
心がふわりとして
いまここにある。
不思議な感覚があふれて来る。
誰が一番その絵を楽しみにしてる?
自分。