この寒空の中、庭の梅がつぼみを膨らませはじめている。
きのうあたりから、やまんばのカラダの様子が変わってきた。
左側の歯、全体が痛い。
この際、テイコーせずに、痛さを感じてみる。
ぐ~っ、ぽそぽそ。じ~ん、きりきり。。。
うん、来た来た。上の方から下に移動する。するとまた上の奥の方に痛みが移る。そーやって痛みが移動するのがわかる。おお~、おもしろいぜえ。ワクワクしながら感じていると、いつのまにかうとうとする。はっと気がつくと消えている。
鼻水が出始めた。おとついまで全然出てなかったのに。
今朝は異様に寒い。外気温を見ると、マイナス4度。もっと温度が低い朝もあったのに、今日はなぜか体全体が寒い。皮膚のまわりに冷気を感じる。鼻をかむと鼻水がいっぱい出た。
はは~ん。春が来てる。
やまんばのカラダが春仕様に変わろうとしている。
それまで冬仕様のカラダだった。カラダから熱を逃がさないようにカチッと固めていたのだ。それが春を向かえるにあたり、カラダに次の季節へのスイッチが入ったようだ。春は緩む。やまんばのカラダも緩みはじめている。毛穴の一つ一つがひらきはじめているのだ。そこに冷気が入り、寒さも普段以上に感じるんじゃないだろうか。
きっと鼻水もそれにあわせて出して、わしらのしらんところで調整をしているに違いない。
やまんばの長かった花粉症及びアレルギー生活の中でわかってきたことは、テイコーがすべてを不幸にするってことだな。
『あるがまま』ってすごい言葉だ。
あるがままってさあ、あっちはあるがままでいくけど、こっちはあるがままにしないって、区別することじゃないようだ。
ほんとに、あ、る、が、ま、ま、でいることのよーだ。
やまんばはそれまで、春になると、ひえ~、眼がかゆい!喉がかゆい!鼻水が出る~!鼻水が出ない!息ができない!死ぬううううう~っ!って、大騒ぎしてた。石けんなし生活のおかげで、喉がかゆくなることはなくなった。しかし眼がかゆいのと、鼻水や濃厚な鼻汁が出ることのくるしさはかなり改善されたが、すべてではなかった。
こっから先は、もう物質で「ナントカ」しようとする次元ではない。
あ、今眼がかゆくなった。今ここにないにもかかわらず、いやだったことを思い出している!これは梅干しと聞くと、ツバが出るのと同じ原理だ。
意識の次元である。
起こったことにテイコーする。これが症状を大きくする。
じつは「症状」という言葉によって、症状=悪だというニュアンスを含んでいる。
じじつは、その「悪」にテイコーすることによって、それを実際以上に大きく感じているということだ。
それによって、量子力学でいけば、カラダもそれにあわせて大きく現象化する。
1;変化がおこり、
2:その変化を「悪」と受け止める。
3:そしてそれにテイコーし、
4:取り除こうとする。
5:意識がそれを大きく見せ、
6:現象化する。
こーゆーことが、やまんばのカラダに起こっていたのだ。
では、あ、る、が、ま、ま、でいくと、
1:変化がおこり、
2:その変化を「春仕様ねえ~」と受け止める。
3:そのまま「春仕様」のカラダに移行する。
以上!
どおよ。