2022年7月15日金曜日

そこにある平安


 

う。。肩が痛い。

これはもしや。。。


自我は判断する。


60肩かもしれぬ。

自我は名前をつける。


マッサージしなければ。整体に行かねば。

自我は問題を解決しようとあれこれ考える。



一方、

これはもしや。。。。


よし。聖霊を選ぼう。

聖霊はどう見ますか?


。。。。


あ。そーですか。

わかりました。



これが最近の私のブーム。


自我はあらゆることに判断、解釈し、問題を見つける。

そしてその問題をどうにかして解決しようとする。

その自我の働きにもう飽きたのだ。

いつ解決できた?一体解決ってあったのか?

自我に解決できる手法はなかった。


だって隠し持っている自我の魂胆は、

「探せよ。されど見つけることなかれ」なんだもん。



だから、ん?これは。。?

と言うことが起こった時、即座に聖霊を選ぶ。


どうなるかと言うと、沈黙がやってくる。


自我を選ぶと心は騒ぐ。

聖霊を選ぶと沈黙がある。


聖霊は判断をしない。この世界に判断解釈を持たない。

この世界が実在しないことを知っているからだ。

実在するものが何であるかを知っているからだ。


その位置に自分を置く時、平安が訪れる。



いやそうは言っても、あの人は今頃こうなってああなって。。。

いやいや。そんな呑気なことを言ってて、ものすごい病気だったらどうするんだ。


自我の心は私を誘惑する。

それでも私は聖霊を選び続ける。


自我の世界で開かれていったこの世界のカーペットは、

過去や未来へと敷かれていくが、


聖霊を選ぶことで、
その時間はくるくると巻き取られて消えていく。



そして時間は今だけになる。


その時、あれやこれやの心配事は、

単に私の頭の中での妄想だったことに気づかされる。


そこにあるのは平安だけだった。




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