う。。肩が痛い。
これはもしや。。。
自我は判断する。
60肩かもしれぬ。
自我は名前をつける。
マッサージしなければ。整体に行かねば。
自我は問題を解決しようとあれこれ考える。
一方、
これはもしや。。。。
よし。聖霊を選ぼう。
聖霊はどう見ますか?
。。。。
あ。そーですか。
わかりました。
これが最近の私のブーム。
自我はあらゆることに判断、解釈し、問題を見つける。
そしてその問題をどうにかして解決しようとする。
その自我の働きにもう飽きたのだ。
いつ解決できた?一体解決ってあったのか?
自我に解決できる手法はなかった。
だって隠し持っている自我の魂胆は、
「探せよ。されど見つけることなかれ」なんだもん。
だから、ん?これは。。?
と言うことが起こった時、即座に聖霊を選ぶ。
どうなるかと言うと、沈黙がやってくる。
自我を選ぶと心は騒ぐ。
聖霊を選ぶと沈黙がある。
聖霊は判断をしない。この世界に判断解釈を持たない。
この世界が実在しないことを知っているからだ。
実在するものが何であるかを知っているからだ。
その位置に自分を置く時、平安が訪れる。
いやそうは言っても、あの人は今頃こうなってああなって。。。
いやいや。そんな呑気なことを言ってて、ものすごい病気だったらどうするんだ。
自我の心は私を誘惑する。
それでも私は聖霊を選び続ける。
自我の世界で開かれていったこの世界のカーペットは、
過去や未来へと敷かれていくが、
聖霊を選ぶことで、
その時間はくるくると巻き取られて消えていく。
そして時間は今だけになる。
その時、あれやこれやの心配事は、
単に私の頭の中での妄想だったことに気づかされる。
そこにあるのは平安だけだった。
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