2008年11月22日土曜日

懐メロと畑



今日は近所でイチョウ祭り。小仏関所ではたくさんの人が来ていた。
相変わらず、高尾は人気もの。

で、私は今日も畑の開墾中。
関所からの音楽がよく聞こえる。懐メロ、演歌、フォークソング、懐かしのヒットメロディーが次から次へ。「近所の人はこんな音楽一日聞かされるんだ。ひゃー。たいへーん」と、気の毒がる私。

最後の砦である篠竹と葛をばったばったとなぎ倒し格闘していると、知らないあいだに関所から流れてくる音楽を聴いている。そして知らない間に口ずさんでいるではないか!
いけない、いけない。私としたことが。

赤ん坊の時から、スピーカーの横に寝かされ、大音響でクラッシックを強制的に聞かされていた私のお耳なのだ。
思春期には、カーペンターズやビートルズを聴き、(ここら辺から狂ってくるが)、ストーンズに目移りし、ハードロックに移行、当然ヘビメタをむさぼり、いきなり飽きて、ヒュージョンへ。それがきっかけになって、ジャズに。そして京都でダンモのズージャ(モダンジャズ)の喫茶店に入り浸る。
そこからブラコン(ブラックコンテンポラリー)、R&Bへと、まったくの黒人音楽の世界に入ってからキャリアが長い。

そんなおしゃれでかっこいい横文字音楽の世界にいた、この私なのだ。そ、そんな懐メロなんて知っていてはイケナイのだ。

「お〜い、なっかむっらく〜ん。ちょいとま〜ちた〜ま〜え〜」って、なんでしっているのよ、あんた。
「み〜さき〜、め〜ぐりの〜、バスは〜は〜しる〜...」って、唄ってんじゃねえよ!

ああ、やっぱし私は日本人。日本人の血は音楽にまで浸透する。篠竹に絡み付いた葛のツルを引っぱりながら、フルコーラス唄ってスッキリする私。うれしくなって思わず笹を空中で振り回すありさま。

いっくらおしゃれに外身をよそおっても、結局ニッポン人なのだ。最後はここに帰ってくるのだ。ニッポンの音楽はニッポン人の生理にそって生まれでてくるのだ。知らん顔してても、カラダに入って、おぼえちゃっているのだ。


畑で笹を振り回し、演歌を口ずさむ私に、ニューヨーカーだった面影はない。

絵:ミステリマガジン掲載

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