嫌になったらやめる。
迷いだしたらやめる。
理屈では「いや、時間がないし。今やめてどーする。今でしょ!」と、心は騒ぐ。
その時、なんとも言えないやるせな~い気分になる。
自分が惨めになって、ワタワタして、泣きが入って、
びえ~~~っ!って、言いながら走る。(心の中が)
そんな中で無理やり無理くりやってきた。
だからこそ人生は苦しみの連続だし、
苦あれば楽ありの証だし、
アメとムチのバランスだとか言って、知ったかぶりをしてきた大人な私。
今になって思う。
そんなもん、糞食らえだ。
迷ったらほっとく。
嫌になったら一旦やめる。
その時間が大事なのだった。
惨めの中に巻き込まれない時間が。
この世界の目的は、惨めになること(笑)。
自分と他人を比べて惨めになり、
あるいは自分と他人を比べてちょっと優越感に浸る。
でも優越感なんてほんの一瞬のことだけで、
残りは常に劣等感と欠乏感の中で、
どうにかして満たされようと、わちゃわちゃさまよい歩く日々だ。
その堂々巡りに気がつく。
静けさの中に立つ時、この世界を遠くにする。
頭の中のぐるぐるは、この世界の具象の中に埋没している。
形の中で形をどうにかしようとし続けている。
その時の心は惨めでいっぱい。
びえ~~~と泣きながら、必死で何かやることを探し続けている。
何かやったら、この悲惨さから抜け出せると信じて疑わない。
ああすべきだこうすべきだ、早くしろ、今やらないでどーするんだ。
このままだと路頭に迷うぞ!という大きな声で頭の中は埋まっている。
声は私を混乱させるだけで、
まったく無意味な言葉をしゃべり続けているだけだった。
それに巻き込まれている自分を見る。
状況はいろんな形を見せてくるが、
いつも全く同じ感情、同じ心持ちになっている自分。
「これ」を味わい続けるために、
あらゆる状況を作り出して、その世界に埋没しようとしているだけなのだ。
それが罪悪感。
これが惨めさ。
その声を遠くに聴く。
静けさがその分岐点。
だからやめる。
一旦引く。
そして待つ。
苦しみから無理やりやる行為は、
さらなる迷いを生み出す。
喜びから自ずと湧き上がる行為は、
さらなる喜びを生み出す。
絵:ミステリー表紙イラスト
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