2023年5月21日日曜日

静けさが分岐点


 

嫌になったらやめる。

迷いだしたらやめる。



理屈では「いや、時間がないし。今やめてどーする。今でしょ!」と、心は騒ぐ。


その時、なんとも言えないやるせな~い気分になる。


自分が惨めになって、ワタワタして、泣きが入って、

びえ~~~っ!って、言いながら走る。(心の中が)



そんな中で無理やり無理くりやってきた。

だからこそ人生は苦しみの連続だし、

苦あれば楽ありの証だし、

アメとムチのバランスだとか言って、知ったかぶりをしてきた大人な私。


今になって思う。

そんなもん、糞食らえだ。



迷ったらほっとく。

嫌になったら一旦やめる。


その時間が大事なのだった。

惨めの中に巻き込まれない時間が。



この世界の目的は、惨めになること(笑)。


自分と他人を比べて惨めになり、

あるいは自分と他人を比べてちょっと優越感に浸る。


でも優越感なんてほんの一瞬のことだけで、

残りは常に劣等感と欠乏感の中で、

どうにかして満たされようと、わちゃわちゃさまよい歩く日々だ。


その堂々巡りに気がつく。





静けさの中に立つ時、この世界を遠くにする。


頭の中のぐるぐるは、この世界の具象の中に埋没している。

形の中で形をどうにかしようとし続けている。


その時の心は惨めでいっぱい。

びえ~~~と泣きながら、必死で何かやることを探し続けている。

何かやったら、この悲惨さから抜け出せると信じて疑わない。


ああすべきだこうすべきだ、早くしろ、今やらないでどーするんだ。

このままだと路頭に迷うぞ!という大きな声で頭の中は埋まっている。

声は私を混乱させるだけで、

まったく無意味な言葉をしゃべり続けているだけだった。


それに巻き込まれている自分を見る。

状況はいろんな形を見せてくるが、

いつも全く同じ感情、同じ心持ちになっている自分。


「これ」を味わい続けるために、

あらゆる状況を作り出して、その世界に埋没しようとしているだけなのだ。


それが罪悪感。

これが惨めさ。



その声を遠くに聴く。


静けさがその分岐点。


だからやめる。

一旦引く。


そして待つ。





苦しみから無理やりやる行為は、

さらなる迷いを生み出す。


喜びから自ずと湧き上がる行為は、

さらなる喜びを生み出す。




絵:ミステリー表紙イラスト




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