自分の心の中を見るほどに、
どんどん敏感になっていく。
以前は外で起こった出来事に反応している自分にしか気付けなかったが、
徐々に内側で起こっていることに反応している自分に気づく。
これまで外に見える出来事に、「これちゃうやろ」って怒っていた私が、
目の前で何も起こっていないのに、
心の中によぎったイメージに「こらあ~!」って怒っているのだ。
外に怒りの原因が現れて怒るのではなく、
心の中に怒りの原因を見出し始める。
すると怒る原因は、外に現れたことに直接反応しているんじゃないこともわかってくる。
恐れも同じだ。
外に恐れの原因を見出すと、その恐れの原因をどうにかして消そうとする。
うまいこと消せたらいいが、なかなかそうはいかない。
心の中で不意に浮かぶものが恐れさせていることに気がつき出すともう大変。
心の中は恐れだらけ!
怒りも元は恐れから来ている。
恐るあまり恐れさせる相手を怒りによって攻撃しているだけなのだ。
無意識にやっているという言葉があるが、
無意識はほとんど意識に浮上させることができる。
意味もわからずやってしまうこととされているものが、
ちゃんと理由があることがわかる。
恐れを回避するためにやってしまうのだ。
昨日アバター2を見た。
期待してなかったが、やっぱり期待してない通りだった。
ものすごい戦闘シーンの最中で寝てしまう(笑)。
つまらなくなり途中でやめた。
高いお金を払っているから、翌日仕方なく最後まで見た。
自分の息子を殺されたからと、怒り爆発していっぱい殺してしまう。
そして最後は死んだ息子と出会って、心穏やかになる。
おいおい。そのあなたが殺した兄弟たちにも親はいるんだけど。
まあ、映画というものはそういうもんだ。
そういう怒りで持って戦いを鼓舞する目的や、
戦闘意欲をなくさせるために作られてきたのだから。
でもそろそろ別バージョンも欲しい。
みんながハグし合って終わる映画。
恐れの中で殺し合う映画。
どうだろう。
これから映画のサブタイトルに「恐れの中で殺し合う映画」って入れたら。
そしたら勧善懲悪のために殺すことを正当化することに疑問を持ち始めるんじゃないか?
映画は、私たちの日頃の怒りや鬱憤を晴らすために使われている。
ドッカーン!バッチャーン!
心の中の爆発を映画が代わりにやってくれる。
気分スッキリ。
。。。だろうか?
その時はそう思うだろう。
だけどその自分の心にある怒りや恐れはそこに残ったままだ。
あの映画の唯一救われたところは、
人間のにいちゃんが、どうしようもない親を救ったところだ。
あの思いが展開すればいいなあ。
恐れがあると、そこに信念がある。
怒りがあると、そこに信念がある。
その信念、考えがあるがゆえに怒り恐る。
その信念に気づいたら、
その信念がゆえに苦しんでいるんだってわかったら、
どんどんどんどん「こんなもん、もういらないっ」
って、聖霊に捧げる。
それはこのアバターな世界を解体することになる。
絵:ミステリー表紙イラスト
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