できる人にならなきゃ。っておもってた。ずーっと。
なぜできる人になろうとしたか。
それはできることが正しく、できないことがまちがっているっていう世の中のルールがあるから。
それは物心ついた時から、気がついたら、「そうあるべき」の中にいた。
なぜかというと、
1:それができると、ほめられるから。
2:ほめられると、そこにいていいよ、という許可が出るから。
居場所を求める気持ちは、そこにいていいと、自分が決める場所じゃなくて、他人にそこにいていいよ、と言われることによって得られる、
「ああ~、ここにいていいんだ~」
と、安堵する場所のことだ。
人に自分が存在していいのだと許可をもらう。
するってえと、ちょっとややこしいことになる。
できる人はそこにいていい人で、
できない人はそこにいちゃいけない人ってことだ。
こりゃあ、たいへんだ!
そこで人は、必死になって「できる人」になろうとする。
できちゃった人はいいよ。
でもできない人は、ポイされる。(と、思い込む。)
ところが、できちゃった人も、じつはそのとき「いていいよ」といわれるが、(ほんとはそんなふうに言ってないのだが、そーゆーニュアンスにとる)
またたくまに、次のお題をいただき、また挑戦させられるはめになる。
とゆーことは、いつまでたっても、できる人もできない人も、つねに意識的にも無意識的にも、どっぷりと人の評価を気にして生きることになった。
できる人はできる人なりに、人の評価を気にし、
できない人はできないがゆえに(笑)、人の評価を気にする。
どっちもどっちだあ~(苦笑)。
聞いた話し。
ある知恵おくれの学級で、みんなのリーダーを決めることになった。
「誰がリーダーがいいか、みんなで推薦して下さい」というと、
「A君がいい~~~」と、みんな口をそろえていう。
A君は、いつもおしっことうんこを漏らして走る問題児。先生は困ってしまった。そこで先生はリーダーとはこれこれこういう風に、みんなを率先して引っ張って行く人なんだよと説明した。
そしてあらためて聞いた。
「リーダーが誰がいい?」
みんな「だったら、やっぱりAく~~ん!!」
私はこの話しが大好き。
確かにリーダーたるもの、人を導くお手本のような人物じゃないといけないように思える。しかし実際、我が町内会でも似たようなことがあった。
リーダー然としている前会長のとき、みんなの関係がいつもぎくしゃくしていた。その会長も退任され、今度は頼りない新会長に変わったとき、みんなはどうなるかと心配した。しかしそのみんなの心配とは裏腹に、町内会はまあるくなった。頼りない会長を中心に、互いにフォローしあうようになっていたんだ。
A君は、確かにおしっことうんこを漏らすが、いつもまわりに笑いがあった。たよりないA君は、逆にみんなを明るくしていた。みんなはそのことを知っていた。
かれらは、私たち大人が知らないあいだに作りあげて来た狭いルールとは関係なく、何か人間の本質だけををみているのかもしれない。
私ができないことを、できないままでいようと思えた時、心のどこかがふぁっと軽くなったんだ。それは自分のいいもわるいもそっくりそのまんま受けとめることでもある。
すると人の評価なんかどこかにいってしまう。
きっと人の評価なんて、お化けみたいなもんだ。
あるような気がして怖がっているけど、勇気を持ってふりかえってみると、ただの柳の木なのかもね。
絵:「女性の部下の活かし方」MF新書表紙イラスト
0 件のコメント:
コメントを投稿