2013年6月26日水曜日

あんまりみつめすぎるなよ。。。



「あんまりみつめすぎるなよ。。。」

いつだったのだろうか。ずいぶん小さい時に誰かに言われたことば。

「あんまりみつめすぎると、それが本当に現れてくるぞ。。。」

どんな状況で聞いたのかはまったく覚えていないが、小さな時、私は何かにおびえていたようだ。その怖がっているものにばかり意識がいっている時、聞いた言葉だった。


アメリカのコロラドの大地で、現地のインディアンから聞いたことば。
私がほほに雨の一しずくを感じて、
「あ、雨。。。」というと、
「考えるな。考えると雨が来るぞ」

これから遺跡の案内をしてもらおうというとき、雨にふられては困る。私は心に「雨」のことばを消した。それから雨はふらなかった。


わたしたちは、ことばで、現実を引き寄せている。

先日書いた「年いったき。。」も、同じ構図だ。
「年いったき」ということばの後ろに、ありとあらゆる想いや感情が詰め込まれている。「年いったきうれしい」というアイディアはほとんどない。ほとんどがネガティブな想いで満たされている。そして「年がいくことはいやだ」と拒絶をしている。

イヤなことは頭に思い出さなきゃいいのに、人はなぜかそればっかりに固執する。これさえなければ私は幸せになるのに!とおもいはじめる。
しみさえなければ、きれいになれるのに!
やせさえすれば、服がきれるのに!
紫外線さえなければ、しみができないのに!
お金持ちにさえなれば、あたしはしあわせなのに!
あいつさえいなくなれば、おれはしあわせなのに!

全て幸せになるために心が叫んでいることばだ。

皮肉にも、その排除したいものは、排除したいしたいとおもえばおもうほど、どんどん迫ってくる。きらいなあいつは、きらいいきらいとおもえばおもうほど、どんどん存在感を増してこないか。
しあわせになりたいがゆえに排除しようとするのに、まったく逆のことが起こってくる。

これが量子の世界。
観察されるものが観察するものの影響を受ける。
「みる」ことよって、それが物質化する。

そのきらいなモノや人は、つねに心の中で考えられていないだろうか。この世はその人のマイブームである感心ごとが、目の前に現れているだけなのだ。

金持ちになりたいという想いは、自分が現実にお金がない!という想いから生まれたアイディアだ。
そうだ。あなたはお金がない!とおもっている。それその通りに現実化しましょう、と宇宙の秩序は現してくれている。
やせさえすれば!というおもいは、じぶんが「太っている」とおもっているから、その通りに太らせましょうと現してくれている。
しみがなければ!というおもいは、自分に「シミがある!」とおもっているから、シミを作ってくれている。


「あんまりみつめすぎるなよ」は、その事を言っていたのだ。



2 件のコメント:

まいうぅぱぱ さんのコメント...

日本人の言霊信仰と同じですな。
こういう使い方してる内は害がないのですが・・・

つくし さんのコメント...

ことばは力を持つからねえ。。。