2021年11月24日水曜日

罪はなかった

 


夢を見た。


ある問題があり、それを解決しようとしていると、

それを上回るアイディアが聖霊から送られた。

私はその圧倒的なアイディアに喜び、視点が変わり、問題は消えていった。


そして今度はまた別の問題が立ち上がり、

それもまた即座に聖霊から別のアイディアを受け取り、

その圧倒的な視点の違いに感動し、その問題は消えていく。


そしてまた全く別の問題が立ち上がったが、

それもまた聖霊の圧倒的な視点の違いで、

その問題がなかったことになっていく。。。。


その同じパターンを何度も何度も繰り返しながら、

自分の中で限りなく膨らんでいく聖霊のとてつもない愛の中で目を覚ます。

寒い部屋の暖かい布団の中で喜びにあふれた。


寝てられないので起きる。

夢の中の問題はいったい何だったのかさっぱり思い出せない。

そしてそれを解決させた聖霊のアイディアさえも。


だけど全ての問題が聖霊によって次々になかったことになっていく。

こうやって聖霊は私のそばにずっといてくれているんだ!という感謝の思いでいっぱいになっていた。


イメージとしてはこんな感じ。

たくさんのバルーンが、どんどんどんどん膨らんでいく感じ。

私の胸の中で無限に広がっていくその風船の中は、

喜びという空気で満たされていた。





先日「罪はなかったんだ!そんなもの、最初っから、まったくなかったんだ。。。!」

という思いがいきなりやってきた。

何のきっかけもなく、突然。


罪はないという言葉はコースで学んで知っている。

しかしその言葉を知識で知っているのではなく、はっきりと自覚したのだ。

「そんなもの、なかったんだ!」と。


自分に罪はなかったんだと知ることは、すべての重荷をなくすことになった。

ずっと罪を背負って生きてきた私にとって

その開放感はすごいものがあった。

「なかったんだ!罪なんか、まったくなかったんだ!」

私は一人部屋の中で叫んだ。


そのあとの心の大騒ぎといったら。嬉しくて嬉しくてじっとしてられない。

心をどこに置いていいかわからなくなって、誰かに確認したくなる。

だけどそれを確認してどうなる???


これは自分を特別視しようと誘う、自我の動きではないのか?

という思いで行ったり来たりして、ぐちゃぐちゃになった。

そしてそのはち切れんばかりの思いをぐっと押さえ込んだ。

その押さえ込みは相当なもんだったが(笑)。




次の日、罪はないということを知った私に、

自我は猛攻撃を仕掛けてきた。

罪は自我の専売特許だから、それを奪われた日には、自分の存在が消えてしまう。


狭い道路に車が渋滞していた。私は運転しながら、道の脇に知り合いが犬を連れて立っているところを見つける。

軽くクラクションを鳴らしたら、彼女はすぐ私に気がついた。軽くあいさつして通り抜けた時、小さな犬は「ワン!」と吠えた。

そして数秒後、心の中の声はこう言った。

「犬、ひいちゃったんじゃないのか。。?」

その時、犬が「ワン!」って言ったのを思い出した。


「あれは『ワン!』ではなく『ギャン!』て言ったんじゃないか?お前はひいてしまったのだ。。」

ものすごい恐怖が私を襲った。私はとんでもないことをしてしまったんじゃないだろうか。。。

それから家についてもその恐怖はますます増していった。


あれてて彼女にラインをする。だけど既読にならない。

今頃大変なことになってて、ラインを見るどころの騒ぎじゃないかもしれない。。。

自我の声は私を奈落の底に突き落とす。


昨日罪はないとわかったはずだ。だから何も起こってなどいない。

そう言いながら赦し続けた。しかし一向に苦しさは治らない。

過去に、自分の犬が車に轢かれて死んだことも思い出して赦した。

そして幼い頃、うちの犬が産んだたくさんの子犬たちを父と海に流したことまで思い出し、それも赦した。

しかし依然苦しいままだ。


私は単にこの苦しさを、赦しをすることによってなくそうとしているだけじゃないのか?

それは真の赦しではないのではないか?


そう気がついた時、心の中で左上の方に明るい白い雲が見えた。

「これは?」


そして今度は右のほうに、犬が死んだシーンが浮かぶ。

私の心の中に二つの映像があった。

これはまるでシュレーディンガーの猫だ。

一つの箱の中に、生きている猫と死んだ猫がいる。

その両方の可能性がそこにあるのだ。


白い雲は、罪のない世界。形のない抽象の世界。

死んだ犬は、罪のある世界。具象の世界だ。


どちらの可能性もあるのであれば、

私は今ここでそのどちらかを選ぶことができると思った。


この世界が私の投影でできているのであれば、作り上げるのは私。


私は罪のない世界を選ぶ!と断言した。


そのすぐ後だった。

彼女から「大丈夫だよ~」

と明るい返信メールが届いた。



罪はないと確信したからといって、すべてがすぐにひっくり返るわけではない。

それは恩寵のように私に教えてくれたもの。


そのこっちだよと教えてくれる光の方に向かって、

私は日々心の訓練を積んでいく。


やがてまったく罪のない真実の心にもどるために。





絵:「健康と生活」表紙イラスト/カナダのスキー親子




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