小さな気づきが起こる。
また、ひとつ。
ほんのかすかに、またひとつ。。。
そうやって、気づきが起こっていく。
内側で起こることは、ほんとにささいなこと。
だけどその気づきは、かすかだけど、安堵感や、小さな解放をもたらす。
そのことが、どんなに重荷を降ろしていくことか。
ああ、、、こんなことで不安になってたんだ。
ああ、、、この言葉が私を締め付けていたんだ。
目に見える、物質的に形を持った外の世界は、強烈に私たちに影響を与える。
景色、人、テレビの中、パソコンのモニターの中。
その映像を見ては、一喜一憂する私たち。
でもその一喜一憂は、どこで起こっているのか。
この、心の中。あたまの中。
だから、
私はその騒ぐ心の中、あたまの中を、観る。
ただ観る。
「ああ、こんな感情じゃいけない!」
「こんな考えをもったらいけない!」
そういう否定的な感情が起こっても、
それさえもただ観る。
今、どんなきもち?
今、どんな感情?
自分に問うてみる。
その感情とともにいる。
感情が起こるとき、身体が反応している。
ぎゅっとなるような、
がちっと固まるような、
胸の辺りがもやもやするような。。。
その感覚にだけ寄り添う。
頭で考えることには寄り添わない。
考えは、答えを出そうとする。
だけどその答えは、きっとまた、ぎゅっと心を締め付けるような、答えがやってくるだけだ。
私たちはそれをずっと繰り返してきた。
考えるよりも、もっと手前の、
感覚の中に意識を向ける。
外の刺激的な世界よりもっと手前の、
考えることよりもっと手前。
忘れていたものは、
自分自身の感覚。
指先に触れるパソコンのキーボード、目に映るモニターの画面、電車の音、かすかな石油ストーブの匂い、足の寒さ、舌に残る珈琲の味、体全体に感じるなにか。
そしてあたまの中を行き交ういろんな言葉、いろんな感情。。。
これもまた感覚。
これもまた感覚。
そういうすべての感覚。
その感覚の中に、しずかにいてみよう。
その時、心はいまここにいる。
その時、心はいまここにいる。
絵:「スギ林」/和紙、洋紙、水彩、クレヨン
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