2016年11月13日日曜日

忘れていたものは感覚。



小さな気づきが起こる。

また、ひとつ。

ほんのかすかに、またひとつ。。。

そうやって、気づきが起こっていく。

内側で起こることは、ほんとにささいなこと。
だけどその気づきは、かすかだけど、安堵感や、小さな解放をもたらす。
そのことが、どんなに重荷を降ろしていくことか。

ああ、、、こんなことで不安になってたんだ。
ああ、、、この言葉が私を締め付けていたんだ。


目に見える、物質的に形を持った外の世界は、強烈に私たちに影響を与える。
景色、人、テレビの中、パソコンのモニターの中。
その映像を見ては、一喜一憂する私たち。

でもその一喜一憂は、どこで起こっているのか。
この、心の中。あたまの中。

だから、
私はその騒ぐ心の中、あたまの中を、観る。
ただ観る。

「ああ、こんな感情じゃいけない!」
「こんな考えをもったらいけない!」
そういう否定的な感情が起こっても、
それさえもただ観る。

今、どんなきもち?
今、どんな感情?

自分に問うてみる。
その感情とともにいる。
感情が起こるとき、身体が反応している。

ぎゅっとなるような、
がちっと固まるような、
胸の辺りがもやもやするような。。。
その感覚にだけ寄り添う。

頭で考えることには寄り添わない。
考えは、答えを出そうとする。
だけどその答えは、きっとまた、ぎゅっと心を締め付けるような、答えがやってくるだけだ。
私たちはそれをずっと繰り返してきた。

考えるよりも、もっと手前の、
感覚の中に意識を向ける。

外の刺激的な世界よりもっと手前の、
考えることよりもっと手前。

忘れていたものは、
自分自身の感覚。

指先に触れるパソコンのキーボード、目に映るモニターの画面、電車の音、かすかな石油ストーブの匂い、足の寒さ、舌に残る珈琲の味、体全体に感じるなにか。

そしてあたまの中を行き交ういろんな言葉、いろんな感情。。。
これもまた感覚。
そういうすべての感覚。

その感覚の中に、しずかにいてみよう。

その時、心はいまここにいる。


絵:「スギ林」/和紙、洋紙、水彩、クレヨン

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