「ガマンすることが美徳だ。そう思ってきた」
はたから見てたら、
「どー見てもあんた、好き勝手生きてきたでしょー」
というようなお人まで、
「あたしはガマンして生きてきた」
という。
そうなのだ。
人はその人なりに、ガマンして生きているのだ。
たとえば、気に入らないことされるとむかっ腹たつけど、ガマンするのだ。
ガマンすることで、相手に不愉快なおもいをさせない。
その場をうまく通り抜けることが出来る。
ことを荒立てない。
という人生の処方箋だ。
それは美徳ともいう。
別の視点から見る。
むかっ腹たった時に、相手にものを言わないことは、自分を守っているとも言える(笑)。
言いたいこと言ったら、「倍返し」されるかもしれない。
それに意義となえたら、「10倍返し」されるかもしれないではないか!
それならそこはぐっとこらえて、その場をなにごともなかったかのようにスルーする。
よーするに、処方箋というか、これは防衛箋だな。
だけど、それらはたまっていく。
だからそのたまったものをなんとか取り除こうと、いろんなことをしてお茶をにごす。お菓子食ったり、ゲームをしたり、運動したり、飲んだり、食べたり、映画見たり、友だちとだべったり。いろんなことをして、自分がガマンしていることに触れないようにしているんだな。
そうやってたら、いつかはそのガマンしているのものもやがて消えていく、とおもっているんだな。ところがそのガマンしているものには、たんにフタをしているだけなので、似たようなことが起こると、ドッカーンと爆発する。
たとえば、地下水が出てこようとするのをマンホールのフタでおさえているんだけど、ずーっとおさえ続けながら、ゲームやったり、遊んだりして「なかったこと」のように振る舞う。
だけどそのうちおさえる腕もしびれてくるわ、ガマンも限界になるわ。。。のところにきて、ガマンしたことと似たようなことがまた起こっちゃったら、さあたいへ~ん。
「こんなのずっと押えてられっかよーっ!」って、手をはなすんだな。
そんときゃ、間欠泉のようにふきだして、まわりはもう水浸し(笑)。
美徳もへちまもあったもんじゃない。
では、それはガマンせずに「倍返し」を恐れず、勇敢に言えばいいってことかい?
それができれば、ドラマの主人公になれるよ。
だけど、ことはそう単純じゃないんだな。
例えば嫌みをさんざん言われた上司に、土下座してあやまってもらったところで、すべてが終わるわけじゃない。ほんとうにすっきりなんかしないでしょ?
わしらは、こういう怒りをずっと心の中で抱えてるんだ。
その怒りのほこさきが、時代によって変わるだけで、ずっと何かしらの怒りを抱え続けているんだ。
その怒りのほこさきが、時代によって変わるだけで、ずっと何かしらの怒りを抱え続けているんだ。
最初は、兄弟にむけてだったかもしれないし、そのうち親に向かい、そして友だちに。社会に出れば、部下や上司だったり、政治家だったり、システムだったり。。。
だから誰かにあやまってもらうって話じゃないんだ。。。
だから誰かにあやまってもらうって話じゃないんだ。。。
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