畑に肥料入れなくても野菜は育つし、シャンプー石けんなしでもじぇんじぇん問題ない。
むしろ肥料入れると虫は来るし、シャンプー石けん使うと、からだに色々支障が出る。
というやまんばの現実。
このやまんばの現実でいくと、外にある常識は、やまんばの非常識。
「あーでもない。こーでもない」と右往左往される事はいらん心配だったんじゃないか?とおもいはじめる。
つまりは「そのままでいい」ということなんか?
なんかせんといかん、ってつねに思っているから、
「この野菜には肥料が必要なんじゃ」と思ってしまうし、
「このからだはよりきれいにせんといかん」
と思っているから、石けんとかシャンプーってモノを思いついたのかもしれん。
幼い頃から「りっぱになりなさい」「ちゃんとしなさい」といわれてきた。この言葉の裏には「あんたはそのまんまではいけない」というメッセージが吹き込まれている。
まっさらなファイルの中に、最初のころにインプットするイメージ「私はこのままではないけない」
だからつねに心は「なにかしよう」とする。
だって「このままではいけない」のだもん。
自分の心を観察すると、絶えず何かに心を奪われている。
庭を見る。汚いとおもう。大家さんの顔を思い出す。やばい。この家を追い出されるかもしれないとおもいはじめる。すると心は自己弁護しはじめる。いや、いそがしいのよ。いけないとはおもっているのよ。だけどこうまで木がおおいとねえ~、たいへんなのよ~。。。。と、庭見てぼーっとしているはずが、ごしょごしょ考えている。
外から見るとほげーっと庭に向かって座っているだけだが、心は絶えず目の前にあるものから連想ゲームがはじまって、どんどん他に移っていく。いつのまにか、いつものマイブームになっている今の感心ごとに思考が移っている、というふに。
その思考の機動力になっているのが、どうも「わたしはこのままではないけない」という強迫観念からきているようなのだ。
だから野菜はもっと太らせないといけないのだし、からだがもっときれいにならないといけないのだ。
ところがその「このまんまじゃないけない」と思ってやる行為が、結局は野菜に虫を呼んだり、喉の痛みになったり、薄毛になったり、水虫になっているとしたら。。。?
テレビ見たってインターネット見たってなんかへんだ。
「あなたその収入でいいんですか?」とか「そのままでだいじょうぶですか?」とかいうニュアンスのキャッチコピーが多い。
広告はちゃんとその強迫観念のつぼを心得ているのだ。
のっかっちゃったら、おもうつぼぞ。
だけど広告を怒ってもしゃあないのだ。広告さんだっていろいろ事情がおありなのだ。
だけどそれによってもたらされた怖れを無理矢理ひっぺがす事もないのだ。ほら拒絶すればするほど、もっとでかくなるという法則を思い出すのだ。
ホントに必要なものってあるんかいな?
やまんばにゃ、わからん。
バカボンのパパは偉大だったかもしれん。
「これでいーのだ」
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