2012年10月24日水曜日

ほげーっとぼけーっとしよう



わしら現代人は、つねに「なにかしないといけない」と思い込んでいるようだ。やまんばも、ぼーっとした瞬間に「はっ!こんなことしている場合ではない」となにかしようと思考を動かしている。

60代はからだを動かそうとする。
若い世代は四角い箱に向かって文字を打とうとする。
山に行くとカメラを持って何かを写そうとする。

60代はからだを動かす事で「おしっ、俺はまだまだいけるぞ」と確認でき、他人には「あら、すごいわねえ~。若いわねえ~」とほめてもらえる。
若い世代は四角い箱に向かって文字を打つことによって、「すごいねえ~。色々やってんだ」とか「色々考えてるんだ」とほめてもらえる。
山で季節の花を写すと、「あらすてきねえ~」とほめてもらえる。
やまんばも、四角い箱に向かって文字を打つ。やっぱりだれかに「やまんばはすごいねえ~」とほめてもらいたがっている。(現実はほめてるかどーかは知らんが)
どれも自己を満足させてくれる。

どうもみんなほめてもらいたがっている。他人にほめてもらうことで、自分がここにいていいんだと確認をしている。

なんでそーなるんや?
だってちっこいとき「おまえ、そんなんでどーするんや!」とか「おねえちゃんをみならいなさい!」とかいつも誰かと比較され、そんなことでどーする!ってたしなめられ続けたからなんだもん。

「自分はこのままでいてはいけない」とテッテーテキに洗脳されたおかげだ。ただそこであるがままでいてはいけないのだ!なんかつねにし続けていないといけないのだ!と、心底思っている。だから60過ぎてもつねにかにかしないといけないと信じて疑わない。

これが大昔だったらどーなるのか。
夜、いろりを囲んでめしを食う。今日あったことなど、たのしく子供たちと団らん。おとうとおっかあは、夜なべ仕事。。。。?
ほんとはいろりにくべる薪がもったいないから、日の明るいうちに食って寝る。
今。
おっとうは仕事で徹夜。おっかあは内職仕事。子供たちはゲーム。たまに親子で一緒にいるとおうち映画。

つねになんかしている。
ほげーっと、ぼけーっとなんにもしていないときがあるか。ほとんどない。手持ち無沙汰になると、ツイッターしている。ユーチューブ見ている。

なにかしていると、「このままではいけないのだ」という強迫観念を少し緩めてくれる。なにかやっていると、「おれはとりあえず、なんかしているぞ」と、自分を説得できる。それはなんかしていないとろくな人生がやって来ないとインプットしているからだ。
恐れによって無意識に心が突き動かされている。
その怖れの最初のアイディアは、親や先生からだとおもう。だが親や先生をしかってはいけない。その親や先生だって、そのまた親や先生にそう教わって来たんだもん。

だが恐怖に突き動かされた行動なんて、目先のことにとらわれて右往左往するだけで、結果的に混乱を生み出していく。これがこの世が矛盾だらけのシステムになって来た理由だ。

ほめられたがっているのも、自分がここにいていいのか?という根本的な存在の怖れからきている。
その怖れに気がついていることだ。その怖れはいけないことだと思う必要もない。ただ気がつき、その怖れとともにいる。

怖れを見る。怖れがぐるぐる回っている洗濯機の渦を上から見る。(中でおぼれない)
それはどんな怖れ?
どこから来た?
どんな色?
どんな感じ?
その感じは前に味わったことがある?
それはいつ?
どんな場面だった?
そうやって自分の心深くに入っていく。きっと一番恐怖だった瞬間にであうんだろう。

でも今そこにはないよ。その時間を今すごしてないよ。今そこにあるのは、あなたが感じている恐怖の感情だけなのだ。
その感情とともにいよう。それは単なるエネルギー。ジッと観察しているとやがて消えていく。

静かな時間を持つのはそんなとき。外を走り回っても、外の映像を見ても答えはない。この胸の奥にしまってある傷(おそれ)は、自分で発見するしかない。

そこにすわって、ほげーっと、ぼけーっとしよう。

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

してます!!

つくし さんのコメント...

それで、オッケー牧場〜!