とおちゃんは無事予定どおり退院した。
ホント言うと、やまんばは色々考えた。ここまで順調だとは思わんかった。最悪の状態まで考えた。だけどこれはとおちゃんが決めることだとおもっていたので、やまんばには何もできないと知っていた。
それにしてもあんな風にがん告知をされて、あんな風に「死ぬ死ぬ」と連呼されて、ああも平静でいられるもんだろうか。たしかに眼は潤んでいたが、態度に乱れもなく、あばれるでもなく、医者が言っていた
「とくに男性はですねえ、高齢者になると、こういういつもと違う場所で、大手術をし、からだも苦しくなると、パニックを起こし、たいてい一時的にボケるんです」
というお達しにも動じなかった。
むしろ、
「おお、人が逆さまに歩きよったわ」
というような幻覚を見たといって、よろこんでいた。
これはやまんばにできるだろうか。やまんばだったら、パニクって、怒りまくって、暴れまくって、暴言はきちらす、歩く公害になっていただろう。
(それはそれでおもしろかろうが)
三日ほどしか見ていないから、娘がいない時は暴れまくっていたんだろうか。でもそうでもなさそうだ。もしそうなら、もっと状況は悪化していただろう。
父の様子をはたから見ていておもう。心が静かなのだ。心の中が暴れていない。心が静かだから、からだも粛々と自然に治癒しているのかもしれない。
こないだ高倉健さんの番組を見た。
81歳になっても元気で現場をこなしている。若い奴と一緒になって走っている。彼は完全に自己完結した人物に見える。彼もそうだ。彼の心も静かなのだ。昔の人は心が静かなのだろうか。じっと目の前に起こったことを、ただいいとか悪いとか判断もせず見ている。ありのままを受け取っている眼に見える。
うまいこと言えないけど、心が騒ぐのは、その心の中が、目の前に起こったことに対する判断や、非難や、恐怖や、葛藤が渦巻いているからなんじゃないだろうか。
「おれはガンになった!いやだ!死にたくない!どうしてなったんだ!なんでおれだけがこんなめにあうんだ!なんでなんだ!不平等だ!おれは何もわるくない!」なんて。
父は、そんなふうに心が騒いでいるようには見えなかった。ただ起こったことをそのまま受け止めているようみえた。これは職業柄なんだろうか。でもうちの近所のおまわりさんは、いつも心がうろうろしている(笑)。
やっぱりその人それぞれの心のもち用であるのだ。
身内をほめるのはなんだか気持ち悪いが、ちょっぴり誇らしく思えた。
2 件のコメント:
さすが高知の男だね!!
やっぱそうなんやろか。
よおわからんちや。
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