これはいけないからこうする。
あれはよくないことだからそれをやめる。
 人の行為の大半は、その善悪の判断からうごく。
 しかしその結果は混乱したものになるんじゃないか?。。。
 最近やまんばはそう思いはじめている。 
これはいけないことだからこうする。というは、そのいけないことをすると、よくないことが起こる、という未来を仮定されているのだ。つまりは恐怖の上に成り立った行為といえる。
 石けんなし生活は、私にとって偉大なヒントとなっている。
 そもそも「人間、もっとシンプルでいいんじゃないか?」
というおもいがあった。
そこに飛び込んできたのは、野人さんの石けんなし理論(だったっけ?)だ。やまんばはそれに眼を見張った。
「こっ、こりゃ~、おんもしれーぜええ~!」
早速やりはじめてかれこれ3年半。石けんなぞなくったって生きていけると確信した。 
石けんなしでも生きていけるか?という最初の発端には善悪の判断がなかった。
ただおもしれえ~という興味だけだった。やりながら、日々起こって来る自分のからだの現象に喜んだり悲しんだりしてたのしんでいるだけであった。 
ところがこれがもし仮に、最初に
「石けんやシャンプーはからだに悪いもんである。それは地球おも汚す大変な公害なんである。だから私はこのわるいものを排除する!人間は地球にやさしくすべきなんである!」
という大義名分の元に石けんなし生活を実践していたらどうだっただろう。
 シャンプーなしは、最初はかなりベトベトする。
 べつにシャンプーはわるいもんとも思っていないと、
「あ、軽くちょいちょいと薄めて使うべか」
 と臨機応変に使える。 
だけど、シャンプーは悪である、という前提に立つと、そんなちょこざいなことができない。苦しくてどうしようもなくてやってしまうと、これまた、やってしまった自分に自己嫌悪したりする。髪の毛がすっきりしながら、心がドヨんとする(笑)。
「これはやってはいけない」「だけどやらずにはおれない」「ああ~、またやってしまった」「でもやらずにはおれないのよ~」「ああ~いけないひと~」とゆーふーに、心がぐちゃぐちゃに絡み合ってわけわかんなくなる。
 ただやりたいからやる。
 これがいかにすごいことか。ここに理由なんていらないのだ。ただそうしたいからするだけなのだ。そこには善も悪もないのだ。
「なんで?」といわれても「さあ?」としかいいようがないことってあるじゃん?
なんとなくやってみたいからそーする。
きっとそこには、左の脳みそで考えた屁理屈でない、なにかどっかからやってくる衝動のようなもんなんだろう。
そこにはきっと秩序のようなものが隠れひそんでいる。理屈ではない何かが。
 何かむしょうにやりたいことない?
「大人なんだから、そんなことやっちゃいけない」
とおもってない?そーやって発散しようとするエネルギーをとめてない?
 結果なんて考えないで、とりあえずやってみりゃどうやろか。
2 件のコメント:
そうだね。石鹸なし一ヶ月続けると違いが分かる男になれるね(なんのこっちゃ・・・笑)
違いが分る男。。。
ウ〜ン、マンダム。。。
(それって、原始人と現代人の違い?)
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