恋をしている友達を近くで見ているのは楽しい。
どんどんパワフルになっていく彼女。
こうであらねばならないルールが消えていく。
お一人様の陣地に、相手の陣地も加わって融合し、
1+1が、2じゃなくて、3にも5にもなっていく。
互いが互いの美しさを見ている。互いの神聖さを見ている。
いわば、男とか女という「人間」を通り越して
後ろに広がっている巨大な神の子を見つめ合っている感じ。
「うわ~~~。君の神の子、すげえ~~!」
「きゃ~~~っ。あなたの神の子もめっちゃかっこい~~~~!」
実はどっちも同じなんですけどね。たったひとつの神の子だから。
相手を褒めているのは、自分を褒めている。
お互いの神の子を見て、自分の本当の姿を確認している。
無限大に広がるものを確かに感じとって、
お互いが、
「ほんとうは自分は無限だった!」
と思い出している瞬間なのだ。
コースで書かれていることが、目の前で見られる。
それは私たちが、本当は体ではなく、心だと思い出させてくれる。
かつての私もそんな感じだった。
パワフルで何も怖いものはない。全ての可能性がここにあった。
その相手がうちの旦那だっただなんて、思い出したくもない(笑)。
やがて人は心から体に戻っていき、形を求め始める。
愛の形。それぞれの愛の形を。
そこでその形の違いに気がつき、とろける愛から、戦闘態勢の愛へと変貌していくのだ。
ドラマの始まりだ。
あれから30年。(遠くを見つめる)
形に求めてきた愛に答えなどなかった。
私たちが形の中に愛を求めているのは、
そこに神を探そうとしていたから。
私たちの欠乏感は、相手によって埋められるものでも、形によって埋められるものでもなかった。
代替えなど、どんなに駆使しても偽物でしかない。
ホンモノでしか満たされないのだ。
だから恋する彼女を見て、私も思い出そうとしている。
形を通り越して、ホンモノを見る事は、
30年後の今の旦那の姿を肉眼を使って見るのではない。
本当はとっくに見えている神聖さを見る事だ。
それは私自身の神聖さを思い出すことでもあった。
無限の力を備えた本来の私を。私たちを。
絵:ラブロマンス表紙イラスト
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