2021年3月24日水曜日

もともとないですから。

 




怒りは、人に何かをされたから怒るのではない。

自分の中の何かが触発されたから怒るのだ。


心が傷つくという。しかし心は物理的なものではない。

だから心は傷つきようがないのである。

しかし私たちは体だと思っている。体は傷つく。だから心も傷つくと信じているのだ。


もし自分が体だとは信じていなかったなら、心は傷つかない。

だからイエスは体を痛められても傷つかなかった。

なぜなら「私は体ではない」とはっきりと信じていたからだ。


私が体だと信じることは、罪悪感から来ている。

私の中に強烈な罪悪感があるから、その罪の意識から逃れるために、私はこの体に入った。

そしてこの体の中で、自分の無罪性を訴えているのだ。


罪は他人にあり、自分にはない。

そう言い続けている。


ということは、罪は自分にあると言い続けているということ。

自分に罪があると信じて疑わないから、その罪を他人になすりつけ続けるのだ。


だから人に攻撃されたと思う時、自分の中がうずく。

自分の中に、ないこととして隠しておきたい罪が浮上してくるから。


だから言い返す。「私は罪ではない!」と。

しかし相手は「私が怒っているのは、あなたが罪を持っているからだ!」という。


どちらも罪を感じている。

どちらも罪を感じてそこから逃れようと、その罪を自分以外のものになすりつけようとしている。

だから怒りは収まらない。


怒るきっかけはなんでもいい。箸が転がっただけで怒るのだ。

笑う場合もあるが。


この世界のものなら、なんでも使う。人は怒りたいのだ。

自分の中にある罪が苦しくてしょうがないから。


ほんというと、自分に怒りたい。なんでこんな苦しさを持っているのだ!と。

自分を消してしまいたいぐらい苦しい。だったら自ら消すという手もあるが、それは痛いからできない。

だからこの苦しさを人になすりつける。

「あんたが罪だから、私を怒らせた!」と。

その時だけは、自分が無罪だと主張できる(ほんとは気のせいやけど)。


鬼のような他人にいたぶられる、かわいそうな私。

罪は他人にあり、私は純粋な可愛い無垢な私で居られる。


ところがその鬼だって言い返してくる。だって鬼の方も自分の中の罪悪感が揺さぶられるからだ。その苦しさに耐えかねて、防衛という攻撃に入る。

「何よ!あんただって!」


二人の間に罪というう○こを持って、


「これはあんたのだ!」

「いや、あんたのやつだ!」

と、互いに突き返し続けている。




さて。そんな二人の間に、見知らぬ存在が入ってきた。


「まあまあ、お二人さん。そのう○こ、もともとないですから」


「へっ?」

「いや。あるじゃん!ここにこうして手に持ってるもん!」「そうだそうだ!」


「あると思ってるだけですよ」

「あると思ってる!?そんなバカな話はない!あるからあるじゃないか!」「そうだそうだ!」


「じゃあ、ないと思ってみたらどうですかね」

「は?」

「そこにう○こはなかったらどうなりますかね」


「う○こが、、なかったら?ないわけないじゃん。この人は私にあんなう○こをして、こんなう○こををして。。。!」


「だからそのう○こがなかったら」


「う。。。なかったら、、、。そうやね、そんなもんなかったら清々するね。。。

っていやいや、その手にゃ乗らん!」


「楽でしょ?」

「うん。まあ、それがなかったら、らくっちゃあ、楽かも。。。」


「そのう○こ、持ってるから、渡しっこしてるんでしょ?」

「そりゃ、それはいらんからね」


「それを渡せたら、楽?」

「そりゃあ、渡せた時は楽だ」「そうだそうだ」


「でもそれ、相手に渡したら、相手が苦しむでしょ?」

「うん。まあ、そりゃあそうだわな」


「でも相手はそれを持ったら苦しいから、それをまたあなたに渡し返すでしょ?」

「うん。。。まあ、そういうことになるかな。じゃあ、この人じゃなくて他の人に渡して、と。。」


「そうするとまたその人が苦しくなって、あなたに渡し返されない?」

「え~。。。そういうことか。。」


「あ。捨てたらいいじゃん!捨てたら、もう押し付け合わなくて済む」

「お。いい考えですね!捨てましょう!」

「そうだそうだ。もうこんなのいらない。捨てちゃえ!」


と、二人はう○こを捨てようとした。ところが手から離れない。

「これ、捨てられないよ。手から離れない。どうして?」


そのう○こを相手に渡してみる。すると相手に渡った。

渡された相手は自分で持つのが嫌だから、また相手に渡す。また渡しっこになった。


「あれえ。なんでだろう。。」

「それはあなたがそれがあると信じてるからです。あると信じているものは消せないのです」


「そのう○こを存在させたいのは、あなたが人と違うと思いたいからなのです。それは人と人とを分けるもの。汚いから自分で持ちたくない。自分がきれいでいたいから相手に渡すのです。つまりそのう○こは人と人とを分けさせるためにあるのです。

人と人と距離を置きたいから、それを存在させて、分離させるのです。」


「そのう○こを渡し続けて、いつまでも離れていたいですか?」


互いが顔を見合わせる。

「いや~~~~。そんなことはもうしたくないなあ。。」「だよねえ。。。」


「あると思いたいですか?」

「いや~。。。あるとは思いたくないねえ。」「そうだねえ。。。」

顔を見合わせた。


「いらないですか?」


「はい!いらないです!」

二人同時に言った。


その存在はにっこり笑った。

「では」

といって、う○こを手に取った瞬間、う○こもその存在も一瞬のうちに消えた。


「何?今何が起こった?」

「わっかんなーい!」



「。。。お腹すいたねえ。。」

「そうだねえ。。。今日はカレーだよ」

「わーい。やったあ!」


さっきまでのう○こ談義をすっかり忘れている二人であった。



私たちに罪という思いが入り込んだ瞬間、この世界を作った。だからこの世界は罪でできている。

けれどもその罪は思い込んだだけである。ということはこの世界も思い込んだだけである。


罪という架空のものを人に押し付けあっている間は、私たちは互いに違うものとして分離して見える。

しかしその罪というものがないと徐々に知るうちに、私たちの間にあった底なしの深い谷は、だんだん浅くなってくる。

そして人に押し付けていた罪は、実は自分のことをそう思っていたのだと知る。


怒りは、自分に罪があると信じていることを思い出させてくれる。

そしてそれを手放したいかと聞いてくるのだ。



「それはもともとないのです。

あると思っているから、あるかのごとく見えるのです。


手放したいですか?

そう思ったら、私に頼んでください。

一瞬にして消しますから。


ほーっほっほ」









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