朝、コタツに入りながら、窓の外の風景を見る。
庭の樹々の新芽についた朝露が朝日にあたってまぶしい。
ここには私しかいない。
私と、コタツと、庭の木々。
インスタントコーヒーを飲む。鳥のさえずり。時々聞こえる電車の音。
静かだ。
だけど心の中はいそがしい。
きのうあんなことを言ってしまった。あの人はどう思っているのだろう。言わなければよかった。私はどうしてあんなことを言ってしまうのだろう。やっぱり自分を認めてもらいたいからか?まだ認めてもらいたがっているのか?小学生じゃあるまいに、何を大人になってまで人に認めてもらいたがるんだ。ああ、なさけない。。
そうだ。九州に地震があったんだ。九州に友だちはいないけど、友だちの実家だよなあ。電話した方がいいんだろうか。心配だよなあ。ああ、他人事じゃないぞ。どこもいつだって危ないのだ。どうしよう。何か対策を練らなきゃ。。。
今日はご近所さんのお通夜だ。ああ、お香典。。。展覧会の出費が多いのに、ここでの出費はきついなあ。。。出るのやめようかな。でもでないとまわりに何言われるかわからんし。。。。お香典にさえも悩む自分がなさけない。。。
まわりは満ち足りている。
コーヒーの味、鳥の声、樹々のきらめき、コタツの暖かさ。
脳内だけが騒いでいる。心配、恐怖、そしてまた心配。
ここには私しかいない。だけど心の中には、つねに誰かといる。目の前にだれもいないのに、だれかさんのことを考え、悩み、苦しむ。
私たちは、こうやってあたまの中の出来事に没頭する。
誰かに認めてもらいたがり、自分の正当性をうったえ、いつか起こるかも知れないことに悩み、策を練る。
どれもいつも自分を守るために。
誰かに認めてもらいたがり、自分の正当性をうったえ、いつか起こるかも知れないことに悩み、策を練る。
どれもいつも自分を守るために。
心配の種を安心に変えるために、策を練っても安心しきれない。
それが出来ても、次の瞬間
「でももし、こうなったら?いやいや、これだけじゃたりない。。」
そういって、また次の策を考える。
他人に認めてもらえても、一瞬ホッとし、そしてまた認めてもらいたがる。
延々と続くこの脳の中の出来事。エンドレスの不満足。
でもこの今の瞬間、満ち足りた世界が目の前にある。
ただ、私はそれを見ていない。
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