ただウグイスの声を聴く。
ただキーボードを叩く感触を味わう。
ただ肩の痛みを味わう。
おとなりさんが開ける雨戸の音を聴く。
ただイスとお尻が出会っている感覚を味わう。
ここにいるとはこう言うことか。
わたしたちは意識をちょっと先にむける。
「これが終わったら、こんどはあれしよう。」
わたしたちは意識をちょっと前に向ける。
「あのことが心配だ。」
そしてそれを解決しようと、ちょっと先に向ける。
「どうしたらいいだろう。。」
そして過去の記憶から、答えを導き出す。
「ああ、やっぱあれがいけなかったから、こうしよう。」
そうやって、ウグイスの声よりも、お尻とイスの感覚よりも、あたまの中を優先する。
あたまの中は先の未来と、前の過去を行ったり来たりする。
それはきりがない。
考えれば考えるほど、ますます問題は膨らんで来る。するとますます頭はその考えの中に没頭する。心は目の前のことじゃなく、どんどん頭の中の世界に巻き込まれ、恐怖は増大する。
そういうことをわたしは繰り返して来たけれど、それは底なし沼なんじゃないかと思いはじめた。
『問題は、問題だと思ったときから、問題になる。
現象は、現れては消えていく。
心に浮かんだ問題は、それを重視しないうちに消えていく。』
そんな言葉を最初聞いたときは信じられなかった。
だけどほんの些細なことから実験を始めた。
ほんの些細な問題は、それをつかまないで放っておいたら、いつのまにか気がつかないうちに消えていた。
「あれ?」
少し気になる問題を見つける。でもそれをつかまないで放っておいたら、やっぱりこれも消えていった。
そんなことを繰り返すと、どれが重大な問題なのか区別がつかなくなって来る。どれも大した問題じゃなくなってくる。
それでもやっぱりこれだけは問題。。。と思うものが浮上して来る。
それを問題視する自分がいる。
でも、それもただ味わう。
起きては流れていく現象として、ただ見ている。
ただ見ていると、わたしはそこにいる。
すると車の音が聞こえる。カジカの声が聞こえる。キーボードのカチャカチャが聞こえる。指とキーボードの出会いを感じる。イスとお尻の出会いを感じる。
わたしは、ここにいる。
ここがどんどん濃厚になっていく。
そしてわたしと言う感覚は、だんだんあいまいになっていく。
大きな静けさがそこにある。
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