ある人をほめた。
なんにも返答がない。
あれ?聞こえないのかな?とおもった。
しばらくして質問すると、すぐ答える。聞こえてんじゃん。
それからまたしばらくして、べつのことをほめた。
やっぱり返答がない。
あ、この人ほめられることが苦手なんだと気がついた。
彼女は異様なぐらい仕事が出来る。
すべてを把握して、的確に行動する。根回しも、その場を明るくする方法も知っている。遠くで動いているスタッフが、今どういう状態かを把握して瞬時に動く。まるで彼女のセンサーがひとつの空間全部に張り巡らされているかのようだ。ご主人が「ウチのカミさんのアドヴァイスは的確なんだ。。」と言っていた理由が良くわかる。
だがそんな凄腕の彼女は、彼女自身の能力をまったく認めていないのだ。
その時、自分のことと重なった。
「これは、、、自分だ。。。。」
がくぜんとした。
この感覚は何といったらいいのだろうか。自分の能力も存在も、何一つ受け取ろうとしない彼女は、私そのものだったのだ。。。
それがどんなにこっけいで、残念で、自分自身に対して失礼なことをしているのか、全身で感じて、その場で身震いした。
ふと道を通る人たちを見た。
みんな認めていない顔をしていた。自分自身の能力、自分自身の存在。。。ただこの世に生きていることさえも認められない顔、顔、顔。。。
自分の足りない物を探し、それを埋めようとする。一時埋まった気になっても、また別の足りないものを探す。そうやってえんえんと探し物をしている。満ち足りないなにかを埋めようとずっともがいている。
その彼女もいつも探している。これじゃないなにか。
今もっている素晴らしい宝物をうけとらないで、その宝物をさがしつづけるようなもんだ。
手にしているじゃないか。今、そこに。
もし、もし、彼女が自分の価値に宝に気がついたなら、それに対して大事にあつかったなら、事態はまるで変わるのだ。。。。
もし、もし、彼女が自分の価値に宝に気がついたなら、それに対して大事にあつかったなら、事態はまるで変わるのだ。。。。
おかしなもんで、その自分を受け取ると、自分が消えていく。
ないないと探し続けていると、苦悩する自分が、強烈に存在する。凝縮して、個別化された「自分」が存在する。
その反対に、自分の能力、体験、そのものを受け取ると、ゆるみ、開き、拡張して、「自分」が消えていくのだ。
やまんばは、なんだかおかしくなって、しばらくへらへら笑っていた。
2 件のコメント:
自分がきえてゆく。コメントしたいのに何時も出来ません。ただありがとう。
匿名さん、ありがとう。
なんか、感じてくれたんですね。
うれしいなあ〜。
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