「ふつうに歩くとつまらんでしょ?
でも、一本立ちになって、けんけんで歩くとおもしろいじゃないですか。
そして、ふたりの人間の片方の足を結ぶと、二人三脚になる。
ほら、これでゲームができた」
やまんばは、あるユーチューブを見て、「あっ!」とおもった。
ふつうにしてたら、おもしろくない。
制限を与えたとたん、ゲームになる。
双六だって、サイコロを振って2が出たら、2個前に進むという制限がある。
サイコロふって2が出ているのに、6個も10個も前に進んじゃったり、うしろにさがっちゃったら、ゲームにならない。
決まり事という制限があってはじめてゲームが成り立つ。
わしらはまったく同じ事をこの人生の中でやっているのだ!
肉体という制限。
物質界という制限。
民族という制限。
国という制限。
価値観という制限。
いい悪いという制限。
正しいまちがっているという制限。
お金がある事がいいこと。
はやい事がいいこと。
多い事がいいこと。
若い事がいいこと。
高い事がいいこと。
でもモノによっちゃ、正反対になる。
山のようにあるいいこと。悪いこと。
その制限があることで、それによろこび、それに悔しがり、それになげき、それに怒る。そうやってゲームを続けているんだ。
だって、「ホットケーキ!」といえば、
ぼん!っての前にホットケーキが現れたら、最初は嬉しいけど、だんだんあきてくる。
やっぱ、ホットケーキが食べたい!っておもったら、スーパーに走って、小麦粉と、牛乳と玉子とお砂糖とバターと、ついでにメープルシロップなんかもかっちゃって、
フライパンの火の加減を調節しながら、ひーひー言って作って、出来たホットケーキの方が、じぇったい味わえるじゃん!
その達成感のおもしろさをわしらは味わっているんじゃないだろうか。
なあんだ。そーだったのか。
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