2015年6月5日金曜日

ひとりごと




わしらは自分に起こった出来事に対して、
「コレ、ヤダ」とおもうと、
「これをナントカ変えたい」と策を練る。
その理由は、策を練ったら、そのコレヤダが変わるんじゃないかと。

ンで、策をねってその出来事が変化したら、
「やった!変わった、変わった!」
とよろこぶ。
するとあたまは、
「わしが変えたんじゃ。わしの手柄じゃ!」
と信じ込む。

でも、ほんとに「変えた」んだろーか。

わしらは自分の選択次第によって、人生はいかようにもなる。だから選択は大事。その選択のために考えて考えて考えつくすのじゃ、とやってる。

でもさー。
起こっている出来事は、それしか起こってないじゃん。
他の選択によって、他の人生が起こったかどーかなんて、ほんとに知ってるの?
やまんばが、あのとき、あーやっていたら、こーなって、あーなって。。。。
などとゆーのは、単なる妄想じゃね?

なんで「なんとかしたい」と、おもったかとゆーと、
「なんとかできる」と信じているからなんじゃないか?
でも、わしらは、「起こったこと」しか知らないんだよ。

学校や親から、こう変えなさい、ああ変えなさい、といわれて、
「あ、そーか。変えられるんだ」
と信じたんだけど、ほんとに変わったの?
ただ起こることが起こっただけじゃね?

変えたかったのはなんで?
変わると思っちゃったのはなんで?
ほんとにそのおかげで「変わった」の?

わしらはただ、起こったできごとに、いちいちいちゃもんつけてるだけなのかもしれん。
ここじゃないどこかにいこうとしているだけなんかもしれん。

ここじゃないどこかって、どこ?

0 件のコメント: