感情がカギを握っている。
感情は単なるエネルギーだ。
私たちは自分の感情にたいしてあまり注意して来なかった。どっちかというと、避けてきたものだ。
「うれぴー」とか「たのぴー」とかの感情に対しては、ブンブン受け入れてきたが、「くやぴー」とか「かなぴー」とかは受け入れるよりも、
かかわらない、
しらんぷり、
なかったこと、
感じないフリをする、など、
あふれて来るものを抑圧する方向にもってきていた。
私たちはこういう感情に対して、二つに分ける。
「いい感情」と「悪い感情」というふうに。
なぜか、いい感情と言われるものよりも、悪い感情とされている感情の方に種類がいっぱいある。
イラつく、ムカつく、キレル、かなぴー、くやぴー、うらやまぴー、ガックシ、げろげろ、キモ~イ、うらめしい、めっちゃはずかしー、つれえ、せつねえ、ちょーこえ~、泣きそー、げ、やっちまった!、どないしょー、不安だあああー!ってなかんじに。
この感情は出してはいけない、表現してはいけないとゆーふーに教えられてきた。なんでか。ヒト迷惑だから。自分自身もふりまわされるから。
だから人々は、このネガティブな感情を「克服」するために、瞑想したり、ワークショップやったり、セラピーする。
だけどヒョットしたらこれは、克服するものでもなく、見なかったフリする事でもなく、そのまま味わうだけでいいのじゃないか?
私たちは勝手に分離して考えてるだけだ。これはいい感情、これは悪い感情って。
でも小説や映画を見て、恐怖も哀しみも味わって楽しんでいるじゃないかー。
この本は、やまんばがそんなこと考えてる時に出会った。まさにそんな事が書いてあった。そしておもしろい事が書いてあった。
恐怖は、興奮とほとんど変わらない周波数のエネルギーだ。
憂うつは平穏とほとんど変わらない周波数のエネルギーだ、と。
それを言葉で分離させているだけだと。その言葉の分離で、いい感情、悪い感情とわけて、受け入れたり、拒絶したりしているだけだと。
ドッカーンだ。
そーいや、怖いことってワクワクしない?怖いことがいやなら、なんでジェットコースターがウケるんじゃ?なんでお化け屋敷なんてアミューメント小屋があるんじゃ?なんでホラー映画が次々作られるのだ?
不謹慎なやまんばは、ショージキ言うと、ちょっと地面が揺れると、「ひえっ!」とおもいながら、どっかワクワクする。台風で風の音きくと、「ひえ~っ!」とおもいながら、どっかでワクワクする。高知県人は「台風が最近高知に来ない」といって不満がる。ウチのかあちゃんは「地震であたしをゆらしてちょーだい!」とかほざいたりする。
これはどーゆーことだ?
やまんばは死ぬほどカメムシの匂いが嫌いなのに、死ぬほどコリアンダーの匂いが好き。両者の匂いはほとんど同じや!なんでやーっ!
『きらいきらいも好きのうち』ってことばは、じつはものすごーく真理を突いてたりして。。。
。。。とゆーことは、いい感情も悪い感情もないじゃないか。。。。
ほとんど同じ種類のエネルギーに名前を付けて、
ほとんど同じ種類のエネルギーに名前を付けて、
「こっちはいるけど、そっちはいらない」
と言ってるだけじゃね?
メイソーして「克服する」もなにも、、、ねえし。
子供ンときってさあ、なんかよくわからんかったじゃん。なんかドドーンと大きなエネルギーをいつも感じてて、うおおって、おおさわぎしてた。
いまでもそのエネルギーを、そのまんま味わう、感じる、ワクワクすることってできるんじゃない?
言葉で分離して不幸な気分になるのは、それこそモッタイナーイかも。
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