「成功するのって、気がついたら成功してたって感じ。他の人たちもみんなそんな感じ」
成功した人は、そういった。
わしら一般ピーポーは、
「成功とは、努力して努力して血のにじむよーな努力して勝ち取るもんだ」
と信じて疑わない。
じつはじっさいはそんなことじゃないらしい。
努力して成功するんじゃなくて、知らないあいだに「あれ?これって成功してる?」って成功した後、それを維持するために努力したり、必死になったりしているって言う話を聞くのだ。
卑近な例で、しょーもない例でもーしわけないが、やまんばも「イラストレーターになりたいっ!」って、おもってなったわけじゃなく、どっちかっちゅーと、グラフィックデザイナーになりたかったのに、人生の流れはそっちにむかわずに、
「ありゃま。イラストレーターになっちった」
ってかんじに行っちゃったわけだ。
とゆーことは、努力と成功はイコールじゃないってことだ。
とゆーことは、努力すればなりたいモノになれるってわけでもないわけだ。
どっちかっちゅーと、その人その人の人生の流れっちゅーもんがあって、それに抵抗せずに流されていくと、いいところに収まるってかんじじゃないだろーか。
流されるってなんか否定的に聞こえるけど、その場をだいじに受け入れて生きるということなんじゃないだろうか。
流されるってなんか否定的に聞こえるけど、その場をだいじに受け入れて生きるということなんじゃないだろうか。
だから冒頭の人もそういう人生の予定を組んでたんじゃないだろうか。そこから何が見えるか、人生の挑戦をしているんじゃないだろうか。
前もって組み込まれている予定があるのだとしたら、それをながれのまま生きて、「おおっ。おもしろいじゃねーか!」と人生を謳歌することがなによりなんじゃないか。
とゆーことは、必死になって血のにじむよーなおもいをして人生をいきている意味があるんだろーか。
やまんばもニューヨークで、努力して必死になっていろんなことしたけど、ひょっとしたら、努力してたからそうなったんじゃなくて、努力しなくてもそうなってたりしたてんじゃないかって。。。
それは努力することは美徳で、ニンゲンとして優れてて、しないやつはクズだっていう、ずーっと長いあいだ先祖代々引き継がれてきた、信念体系の一つだったんじゃないだろうか。(中には『三年寝太郎』みたいな、一般信念を吹き飛ばす話もあるじゃないかー!)
それが人々を苦しめて、自己嫌悪を触発して、あげくにウツにしてきた要因だったんじゃないか?
人は自分じゃない何かになろうとする。
自分じゃない何かになろうとするって、すごい抵抗だ。自分のありのままをみとめずに、外の誰かや何かを見て、「あれになろう」という。
その「あれ」になるために努力する。
その結果、やっぱりくるしくって、「人生とはくるしさの連続なのだ」と、また強固な信念体系を作り上げるのだ。
それは必要な信念なのだろうか。
捨ててしまってもいっこうにかまわない信念なんじゃないだろうか。
ありのままでいることは、その信念にがんじがらめになっている自分に気がつくことなんじゃないだろうか。
本当はこの世はものすごくゆかいで、軽やかな世界なのかも知れない。
絵:『健康と生活9月号』表紙イラスト「ダッチバイク」
5 件のコメント:
やっぱり、パパラギの世界が理想でしょう。
ただ、戻るのが難しい・・・・
へえ〜、こんな本があったんですね。いいなあ。
やまんばも「ピダハン」になりたい。。。
ああっ、言った先から、言っちまってるではないか。
「ピダハン」になりたいと。。。
ね。だから人は「何か」になりたいのよ。自分以外の。
(開き直るんじゃねえ)
やまんばは、そのままでいーのじゃあ〜〜〜〜っ!
(どうも自分に言い聞かせているようだ。。。orz)
思っても気にしなきゃいいんじゃね?(笑)
仙人じゃないんだから、私ゃ悟りひらくよりビール飲みたいし、焼酎や酒も飲みたいッス!(笑)
気にしない、だいじ。
わしもビールやワインを飲みたいっす!
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