2013年4月20日土曜日

偽善者やまんば



「ニラさん救出~、シュンキクさん救出~」
春になるにつれて草がどんどん成長してくる。寒い冬をサバイバルしてきたうちのちっこい野菜たちは、今度はカラスノエンドウやハルジオンなどに場所を提供しはじめた。
なんとエンリョ深い野菜たちであろうか。
やまんばは、野草のいきおいに押されて小さくなっている野菜たちを救出する。

しかしよう考えたら、ニラさんもシュンキクさんも、救出とか救済といいながら、おっきくさせて結局食っちまうではないか。
なんという偽善なのだ。

これではヘンデルを牢屋に閉じ込めて、大きく太らせて食おうとした魔女と同じじゃねえか。

「おお、まだこの子は太らないねえ。。。」
と、魔女は言った。
「おお、シュンキクを救済してあげるよ。早く大きくな~れ。」
と、やまんばは言った。
どっちもけっきょく食おうとしている。

けっきょくのところ、ニンゲンの行為は、自分のためだ。
「おふくろさんよ~、おふくろさん。。おまえもいつかは~、よ~の~なかの、傘になれよとおしえてくれた~、あなたの、あなたの、し、ん、じ、つ~。わすれは、しな~い~」
という美しい歌があったが、これだって自分のためじゃなかろうか。
確かに人のためにはなる。だがそれを見て嬉しく思うのは自分である。

じゃあ人のためにやっちゃいけねえのかよ。
と、「これがだめなら、あっちにする」という、どっちかにつきたがる心の習慣が言う。

そのどっちでもない、それに気がついていることのようだ。

やまんばは「選択」をしている。
ハルジオンではなく、シュンキクを選んで、ハルジオンを制する。どっちも殺していることに変わりはない。それを殺して腹に入れるのだ。
畑だって、やまんばの欲だ。山はむかしからすでにそこにあったのに、やまんばが踏み込んで「これを食いたいのだあ~」と、山にはないタネを持ち込んで、強制的に植えて育てるのだ。
だれのために?もちろんやまんばのためだ。

美しい前提なんかありゃしない。やまんばのためにやる。そこで選択された野菜を人にあげて喜ぶのもやまんばのためだ。人の傘になってよろこぶのもやまんばのためだ。仕事だってやまんばのためにやる。

植物はそれをすべて受け入れている。なあんにも言わずに(ホントは言ってるかもしれんが)、やまんばのするがままにさせている。
これほど偉大な存在はあるだろうか。ひょっとしたら植物は神かもしれん。

畑に立つと、畑の植物が全員こっちを見ているような気がする。だけどそこには怒りや悲しみや、およそニンゲン存在がもつ小さな感情のレベルではない、そんなものを越えた何かとてつもない「意識」のようなものを感じる。

やまんばはただそれに気がつき、自分の行為に気がつき、自分の心に気づいていることを促されている。

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

そうだね・・切られる寸前まで、「この人が私のことをちょん切っちゃうんだ」なんてことぁ想像もしていないんでしょうね。でも、心配性の作物も美味そうじゃない、気がするのは私だけ??

つくし さんのコメント...

動物は恐怖を感じると、アドレナリンなんかでちゃってコーフンするから、「心配性の作物」にもアドレナリンみたいなのがでて、それが「うまみ」になる?
 
魔女が「おーらおらおら。もっと叫べえ〜。そーするとお前の肉はもっとうまくなるのじゃあ〜」と、よだれをたらす。