2012年9月10日月曜日
地球人間ゲーム
やまんばは、無限であるものから生まれた。
無限であるから何でもできる。何でもできるがゆえに、無限であることに退屈になった。んで、あるゲームに参加した。
地球人間ゲームである。
無限を味わうために、制限の中に入った。限りあるものの中で生きることによって、無限の歓びを味わうというゲームだ。ほら、光の中だけにいると、光を感じないでしょ?そんなとき暗闇があると、「ああ光っていいなあ〜」って知るように。
双六の上がりは、その源に還るという上がり。
意識の進化ゲームだ。
ルールはこうだ。
身長は150センチ〜200センチぐらいの肉体をまとう。
脳細胞は数%だけ使用可能。
見える範囲は全振動領域の、0,001%だけに制限する。
平均プレイ時間は80年、ただし最高は120年まで。
ルールは厳しいが、その範囲内では100%の自由が与えられる。
三次元の、超仮想現実ゲーム。
んで、やまんばは、今現在そのゲームをプレー中である。
確かに生まれてきてからすぐに、「なんかここ違う。。」と感じていた。どっかからやってきたとおぼえている。見えている世界はニセもんなんじゃないかといつも疑っていた。目の前に広がっている世界は見ている所だけにあって、やまんばの後ろは実はなにもないんじゃないかと疑っていた。だが、いつのまにかそれがそういうもんなんだと思い込まされて、この世界の中にどっぷり入ってしまっていた。苦しい時も悲しい時もそれが本当にそこにあるんだと信じてしまっていた。
だが心のどっかで「なんかちがうような。。」というわだかまりはあり続けた。んで、いろんな本を読みあさっていた。怪しー本もいっぱい読んだ。
特に最近は暴露もんやいんぼーもんも読みはじめた。過去の歴史や教科書で言われていたことが、薄っぺらな事実やうそっぱちだったりするかもしれないことを知り始める。
すると、何かすべてがおちゃらけたもんなんじゃないかと思いはじめた。今の世の中を動かしているシステムもセーフも宗教も教育も大義名分も、みんなが必死になって守ろうとするものも、全ては架空の世界なんじゃないか?と思いはじめているやまんばがいた。これはやまんばが「見たいように見ている」やまんばバーチャルワールドなんじゃないだろうか。
わたしはやまんば。
ここは「私が見ている」世界。
現在もプレー中である。
今やっと、それがゲームであることを思い出しはじめた。
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2 件のコメント:
そうだね。まぁ、決定的に違うのは、リセットできないことかな・・・。
おおっ、ぱぱさんもゲームに参加してるんだね!
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