2009年2月18日水曜日
お地蔵さまの首
21世紀の江戸時代みたいなこの裏高尾。
旧甲州街道のあちらこちらに赤いよだれかけをつけたお地蔵さまが立っている。よくみるとお地蔵さまの首が、不自然についているものがちらほらある。あとからくっつけたような.....。
先の大震災で取れちゃったのかなあ?とおもいきや、さにあらず。その理由が、近所のじっちゃんAの何気ない言葉で判明する。
「ありゃあ、博打打ちの縁起担ぎじゃ」
どうもここら辺は博打打ちが多かったらしい。博打打ちは、何でもかんでも縁起をかつぐ。で、こともあろうにお地蔵さまの首をへし折って、それを懐につっこんで、博打にくりだすのだ。
どういう発想からそんなことがデキルのか。まったく昔の人間は大それた事をする。金に目がくらむとなにしでかすかわかったもんじゃない。
とはいえ、何かと神経質になるこのごろからくらべると、なんつーかおおらかなところがいいなあ。(あんた、どういう感覚?)
さて、その大胆な縁起担ぎが利いたかどうかはしらない。その後元に戻された首は、ホントにその持ち主のものかどうかもあやしい。みょうにへんなバランスでくっついている。
「ちょうどええ大きさの石があっての。ほれ、これはわしがくっつけておいてやった」
自慢げなじっちゃんAの目の前には、目も鼻も口もないのっぺらぼうのお地蔵さまがいた。(ただの丸い石じゃねえか!)
そういえば、我が町内会も、ご神事の懇親会と銘打って、昼間から酒を飲む。
近所の金が腐るほどある(らしい)じっちゃんBから聞いた話だと、ちょっと前までは、
「わしらはそのまま明け方までのんで博打をし、儲かったら相模湖の方までくり出して芸者をよび、お茶屋でどんちゃん騒ぎをして来た!」
のだそうな。
まったく。男衆のやることといったら、そんなことしか芸がないんかいな。
一度、夢で八王子の昔の花街の様子をみたことがある。今でもそんな昔の情緒ある空気感がこの土地には流れている。家の前の旧甲州街道を歩きながら、一体どんだけの長い時間を、どんだけの人々が、どんだけの思いでここを通ったのだろうと考えると、頭がくらくらする。
思わず「どんだけ〜」といいたくなる(もう古い)。
昔の情緒をまだ匂わしてくれているじっちゃんAや、じっちゃんBが、いつまでも元気でこの地をうるおしてくれることを願う。
絵:『幕末テロ事件史』扉イラスト
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