2025年8月2日土曜日

記憶とは、今を思い出すこと

新たな器 直径6センチ お刺身用の醤油入れ

 

「今、ここ」


ずいぶん聞き慣れた言葉になったけれど、

今の私にとってこの言葉は大きな存在になった。


コロナが開けて、6年ぶりに行われる夏祭りのために、盆踊りの練習をする。

大人が円陣を組み盆踊りをする間を、たくさんの子供たちが駆け回る。

真ん中で子供達が腕の引っ張り合い。

踊りで振り下ろした手が、間をすり抜けた子供の頭をはたいてしまう。


子供は大人の真似をするか、じっと側で見ているもんではないのか。

今の時代はそういうものなのか。

あまりの混沌とした情景に唖然とする。カオス。


家に帰ると旦那が映画を見ていた。

その音だけを聞きながら、「今、ここ」にいる。


「今、ここ」は、さっきあったカオスを思い出さない。

そのカオスに対する思いもない。




時間は追いかけるものなのかもしれない。


今ここにないものを思い出し、心を泳がせる。

あれはどうだ。これからどうしよう。


アメリカのイラストの仕事が潮が引くようにスーッと引いて、今私は依頼仕事をしていない。

純粋に自分が描きたい絵を描いている。


それがお金になるかどうか全くわからない。

それに加えて自費で本も出し、これから旦那の写真集も作る。お金は出ていく一方。

常識的に考えても恐ろしい話だ。




そうやって未来を心配する。

過去と未来の行ったり来たりは、確実にこの世界を実在させる。

時間を考えると言うことは、この世界を実在させているのだ。


今、こことは、時間がないことを表していた。

今、こことは、この世界は実在しないことを教えてくれていた。


「記憶とは、今を思い出すことだ」とコースは言う。


記憶とは、過去を思い出すことではなかった。

過去を思い出すことは、この世界を実在させることだったのだ。


昨日のことを思い出して、あの躾は如何なものか、子供の教育はどうすればいいのか、

これからの日本の未来は。。。


そうやって、心はこの世界がさも実在するかのように見せてくる。

その仕組みを体験を通して知り始める。


この世界は一見理屈が通っているかのように見える。

でもよくよく見ていくと、矛盾だらけだ。

何かの法則を見つければ、科学も、医学も、農法も、すべて答えが見つかると思っている。

しかしそれは本当だろうか。

ただただひたすらさらに混沌に向かうばかりではないか。


この世界にその答えは見つからないのだ。


「探せよ、されど見つけることなかれ」




だから私は今、ここにいる。


静けさがある。

蝉の声を聞きながら、パソコンを見る。


この静けさの中に叡智が宿る。











和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです






0 件のコメント: