2023年4月20日木曜日

なんだこれは


 

立て続けに友達三人が生命の危ういところにいる。


人間の肉体というもの、心というものが

一体なんなのか、必死で考えさせられる。


危機に面しないと、人は学ばない。

嫌だけれど、そんな時が一番考える。





「治療が始まる前に会っときたいなー」

などと言われると、


「こいつ、これが最後って思ってるんちゃうか?」

って思ってしまい、

「それ、あかんやつやーん!」

と心が叫ぶ。


そんな時、人は気の利いた言葉でも発すればいいのだろうが、

そんな言葉はちっとも思い浮かばなかった(笑)。




しかしその反面、

私は彼らの本当の姿を見ることになった。


肉体は終わりに向かって進んでいるかのように見えるが、

本当の彼らはそんなものとは全く関係がなかった。



体というこの厄介なものは、

生まれては死にを繰り返す。


私たちはその目の前に知覚する肉体をその人だと信じている。


でも私は見た。彼女の大いなる愛を。

それこそが彼女の本質。


それは全く肉体とは関係がなかった。

死のうが生きようがそんなもの、全く関係がない。


彼女は永遠に生きている。


その爆発するような力に比べたら、肉体なんて米粒以下。

指で弾き飛ばせるほどのちっこいものだったのだ。




彼女は過去、ずっと愛を求めてきた。

だけど裏切りの連続だった。


求めてきたのは何だったのか。

そしてなぜ求めてきたのか。


それはそれがそこにないと信じたからだ。

ないと思ったから、それはなかった。

それはどこになかったのか。

自分にないとおもったから。

だからそれを外に探しに行ったのだ。

でも42年間、見つけられなかった。


だがあった。


どこに?


彼女自身に!


彼女はそれを最初っから持っていた!


持っていたのに気がつかなかった、愛するということ。


愛するということは、愛されるということを必要としない。


愛している。それだけで全てが完結する。

それだけで満たされるのだ。


自分の愛に気がつく。

どれだけ兄弟を愛しているのか。

どれだけ無条件に愛しているのか。


どうしてくれたから愛するわけでも、

どうされたから愛されているという証明にするわけでもない。

そんなものは自我のトリックだ。

自我は常に本当のことを煙に巻いてわからなくさせる。


だが彼女の行動を見ればわかる。

全く無条件に愛し続けていたのだ。

どんな仕打ちをされても。


確かに、意識されている心は大きな怒りを持っていただろう。

しかしその下には、すべてを赦しつくしている愛があった。


それが見えた。

びっくりするぐらいの巨大なもの。


おおお。。。

なんだこれは、と。


自我が煙に巻いた朦朧とした世界の中で彼女は愛を探していた。

自我は、あなたは卑小で弱い肉体を持ったこの世界の住人だと教え込む。


愛は自分の中などにはなく、

外に見つけに行くものだと教え続けた。


そしてその自我の考えは、

「探せよ。されど見つけることなかれ」だ。


実際自我と同調してその考えの中でいる限り、

それを見つけることはできない。



青い鳥は外にいなくて家の中にいた。

家の中どころではない。

青い鳥はあなた自身だ。

あなたよりも近いところにあるものだ。



自分が愛だと知れば、それはもう求める必要はなくなる。

もうすでに持っているのだから。

だからそれは外から奪うものではなく、

外に拡張していくものなのだ。
その性質上、拡張せずにはいられないものなのだ。


肉体を見ている限り、限界と惨めさを味わう。

しかし本当にあるものを自覚した時、

誰が主人か明確になる。

肉体は従順にその主に従う。



その巨大な愛の力で、

新しいパートナーといつまでも仲良く元気に生きてほしい。




絵:「森の気配」





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