2021年12月14日火曜日

あの時の声は自分だった

 


ある動画を見たとき、ハッとした。


それはある人が誘導瞑想で、三年前の自分に向かって語りかけていたら、

その声は三年前に心に聞こえていた自分を励ます声で、

そのまさに今語りかけている自分だったと気がついたという。
(動画の1:15あたりから彼女の話が始まる。誘導瞑想の話は1:21あたりから)


こんな話は木内鶴彦さんの不思議な話の中で聞いたことがあった。

幼い頃「あぶないっ!」って声が聞こえて一命をとりとめたその声が、未来の自分の声だったと。

記憶が曖昧だがそんな話だったように思う。


私にもそんな体験があった。

幼い頃、一人寂しく祠で遊んでいた時に、優しく見守ってくれ、

「大丈夫だよ。愛してるよ。つくしちゃん。。。」

と聞こえていたその声は、50年後の私だったことに気がついた時、心が震えた。


その動画を見た時、あらためてそのことを思い起こした。



時間はない。

つまり時間はリニア式に流れていくのではなく、すべてが同時にここにある。50年前のつくしちゃんも、今のつくしおばばも、10年後のつくし大婆も、今ここにすべてが重なってここにある。


だからいつでもいつの自分にもアクセスできるのだ。

あの時、いつも誰かから見守られている気分だったのは、私が私を見守っていたのだろう。


ならば、悲惨な感情を呼び起こしたあの瞬間に戻って、私は幼い私に癒しを与えられる。

「大丈夫。あなたは間違っていない。そして誰も悪くない。お父さんも、お母さんも、あなたも。誰にも罪はないよ。」

そう言って慰めてあげられるのだ。


ひょっとしたら、その「罪はない」というアイディアは、その時の私の心に入り、未来は変わっていくのかもしれない。今ここにいる私にさえ影響を与えていくのかもしれない。


あるいは先日いきなり入ってきた「罪はなかったんだ!」というアイディアは、いつかどこかで私が私にささやいた言葉だったのかもしれない。


過去は変えられない。

確かに起こったことは変えられないかもしれない。


だけどそのことに対する心のあり方は変えられる。

その心のあり方を変えるために出来事が起こっているのだとすれば、

私たちがなぜそれを体験するのかという目的が見えてくる。



私たちは心。

心が原因で、外に見えるものは結果。


原因である心に戻って、私を癒していこう。

それはきっとまわりにも広がっていくことだろう。


なぜなら私たちは同じひとつの心なのだから。







絵:ミステリー表紙イラスト




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